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カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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音楽レビュー

久しぶりのオーケストラ

2026年10月9日 

明日から連休になる前の金曜日ということで、今日はもしかすると、ものすごく暇になるのではと危惧しつつのスタートだったが、まずまず普通にちょっとお客様の少ない平日という感じで、ちょっと安堵。

お客様商売って、なかなか思い通りにはいかないから難しい。

そんな今日は、金曜日なので私は業務用の配達回りをして、その後は閉店作業をスタッフに任せ、京都コンサートホールへ。

京都市交響楽団の定期演奏会へ行ってきた。

このところ、心に余裕がないのと、仕事以外の時間を持つことがほとんどなかったので、ちょっとくらい自分の趣味に時間を作ろうと思って、京響友の会の金曜日定期会員になった。

と言うことで、これから3月まで、金曜日に開催される京都市交響楽団の定期演奏会は全て同じ席で聴きに行ける。

で、今夜の演目は私がブルックナーの交響曲の中で最も好きな第6番と、トリスタンとイゾルテから「前奏曲」と「愛の死」。

指揮者は上岡敏之さん。

指揮者の上岡さんと言えば、「上岡テンポ」と言われるほど、ダイナミックなテンポ設定が有名で、先日東京で行われたショスタコーヴィチの第8番では、平均的な演奏より20分も遅いテンポで演奏して、日本では珍しく「ブラヴォー」と同時にブーイングも起こるというコンサートだったらしい。

そんなわけで、今夜は何時に終わるかと思っていたが、存外に普通に近い時間で終演。

まず、ワグナーの方は、トリスタンの前奏曲、スタート直後に全休止からどのタイミングでタクトが上がるか、オケが上岡さんの棒を注視する、その集中した気持ちがこちらにも伝わってきて、何となくピンと張った感じで始まった。

愛の死に至っては、ワグナーらしさ全開で、京響の音もパワフル、素晴らしい盛り上がりだった。

京響のワグナー、いいなぁ、と思った。

ブルックナーの方は、最も好きな曲ながら、世間的にはあまり人気がなく、コンサートで取り上げられることが少ないため、CD等ではいろいろな演奏を聴いた中、初めての生演奏。

実は、京響もブルックナーの6番は初演奏らしく、しかも、上岡さんのタクトで演奏するのも初めてとのこと。

どうなんだろう?と思いながらだったが、やはり生は臨場感と迫力が違う。

この曲の聴きどころの一つである超美麗なアダージオは、出だしにオケと指揮者の意思疎通がちょっとズレていた感もあったが、全体的には非常に素晴らしく、特にワグナーの葬送行進曲の部分は、遅いテンポも相まって、迫ってくるものがあった。

ブルックナーの6番は、改訂版がほぼ存在していないはずなのだが、今回の演奏は、存在そのものを私は知らなかったシャルク版(四手のピアノ連弾用に編曲されたもの)を基に、上岡さんが独自の改定版を使っているとのことだったが、具体的にどこがどう変わったか確実には分からなかったものの、時折「あれ?」と思う部分があり、特に通常は入らないはずのGanze Pauseが、けっこういろんなパートで多用されていて、個人的には長いPauseは、この曲の魅力と作曲の意図を削ぐように感じて、全休が出るたび違和感を覚えた。

ブルックナーの6番好きである私の超個人的好みで言えば、マエストーソの第一主題が再現されるときのテンポが、もう少し早い方がカッコいいと思うのと、スケルツォはもっと軽快に行ってほしかった。

そして、終楽章の出だし、ここは本当に超個人的嗜好の問題だけど、多くの6番の録音を聴いて感じたのは、出だしはアンダンテで、アッチェランドしていって金管のジャジャン!が入るあたりでアレグロになるくらいのテンポが一番キマルように思う。(本当に個人的好みです)

素人の偏愛的好みなので、プロがスコアを読み込んで解釈して演奏しているのに物申すなんておこがましいが、本当に個人的好みとして、そんな感じだった。

それにしても、京都にいながら、京響の演奏って、2016年にブノワ賞を受賞したオニール八菜さんがドンキホーテのキトリを踊った公演で、ピットに入っていたのを聴いて以来なので10年ぶりに聴いたことになる。

さらに、ピット以外、つまり、普通のコンサートとなったら、ずいぶん聴いていなかった。

もしかしたら、京都市少年合唱団で歌っていた頃、京響のコンサートに出させて頂いたとき、ステージの上から聴いた、と言うか、歌ったのが最後だったかも?

いや、中学から東京へ行ったので、もしかしたらそうかもしれない。

と言うことで、超久々に聴いた京響、音が分厚くてパワフル!

個人的に、ブルックナーはコンセルトヘボウのような繊細でクリアな音が好きなのだが、こういうパワフルなブルックナーも良いですねぇ。

と言うことで、11月の定期演奏会は、金曜日開催がないため、次は12月の第九になるが、3月まで毎月京響の演奏を楽しもう。

世界一

2026年9月29日 

たまにお客様からヴェルディへの称賛の言葉として、「世界一美味しいコーヒーや」と言って頂くことがある。

とても嬉しい反面、内心では「それはあり得ないだろう」という思いもある。

ともかく、上には上がいるので、本当に世界一というのは、恐らく誰も分からないだろう。

さらに、何を基準に世界一と言うかということも問題で、例えば「世界で一番コーヒー豆を売っている」と言うのであれば、難しいだろうけど全てのロースターの販売量を集計すれば見つけることも可能かもしれない。

が、こと【味】について言えば、Aさんは世界一だと思っても、Bさんは別の店のコーヒーの方が美味しいと言うかもしれない。

それに、どんなコーヒーマニアであっても、世界中の全てのコーヒーを飲むなんて絶対不可能なのだから、軽々しく世界一という表現はできないし、どんなジャンルでも、その世界を知れば知るほど「No.1」を選ぶことは究極的に難しいことだと言うことが分かってくるはず。

そう言ったら、例えば100mを何秒で走るか、とか、42.195キロを何分で走るか、といった、具体的に数字に表れるものであれば世界一を決めることはできる、と思われるかもしれない。

しかし、アフリカへの山間部へ行ったら、恐らくオリンピックの金メダリストよりも走るのが早い子供を探すことも不可能ではないと思う。

写真は、標高2,500mの高地で、車と並走する子供。

コーヒーに落とし込んで考えてみると、抽出や焙煎のコンテストで優勝した人のお店でコーヒーを飲んでも、「普通に美味しい」としか感じないことも多く、場合によっては、自分の好みには全く合わないことすらある。

かつて、私はシャムさんでタイカレーを食べた後、あまりの美味しさに感動して、「ここより美味しいタイカレーはあるのか?」と、いろんなお店で食べ歩いたが、残念ながらシャムさんよりも【私が美味しいと思える】お店には出会っていない。

が、私がシャムさんをオススメした方が、行ってこられて感想を述べられたとき「うん、まぁ美味しかった」という表現をされた。

つまり、その方にとってシャムさんは、感動レベルの美味しさではなく、普通レベルの美味しさだったということになる。

何を食べても飲んでも、人の好みは千差万別、だから同じジャンルの中でも、いろいろなお店が共存できるわけである。

まぁ、そうしてみると「ヴェルディのコーヒーは世界一美味しい」と言って頂いて喜ぶのではなく、「その方が今まで経験した中では、ヴェルディのコーヒーが一番お口に合った。」と解釈するのが一番しっくりくる。

で、結局何が言いたいのかというと、今月はなぜかブラームスを聴くことが多く、先週からブラームスの交響曲を1番から順に、私が持っているCD数種類を聴き比べていった。

昨日、第4番を聴いて、とりあえず今回のブラームスシリーズは終了となったのだが、私はカラヤン/BPOでブラームスの交響曲を全曲生で聴いたことがあり、その当時は若気の至りということもあり、カラヤンのブラームスこそ世界一だと思っていた。

確かに、生で聴いた中では、一番だったが、録音した音源となれば話は変わってくる。

実際、カラヤン/BPOのブラームスのCDは持っていて、長く愛聴盤になっているのだが、そこへ来てクライバー/VPOのブラームス4番を聴いたら「これ、カッコイイ!」と感動してしまい、いったいどちらが世界一なのか?と思うようになった。

しかし、私はブラームスの4番のCDを7枚しか持っていないわけだが、現在市中に出回っている同曲のCDは軽く2~300枚を超える。

それ全部を聴き比べないと、世界一は決められない、と言うか、私が好きな演奏第一位は決められない。

が、そんなの全部聴けるはずもない。

結局は、自分の持っているCDが、私の中のブレームスワールドの全てなわけで、私が形成している世界の外にあるものについては、選定の範囲外ということになるが、よりその曲を知るためには、なるべく多くの録音を聴きこんで、多様な解釈を知らないと、小さな世界の中だけで物事を見ることになってしまう。

と言うわけで、見分は広げつつ、結局はその日の気分で自分の持ち駒の中から何を聴くかを決めるしかないのだが、少なくともカラヤンとクライバーは、その筆頭候補になるだけという話。

二つの演奏は、と言うか、二人の指揮者は全く違う個性で、曲に対する解釈やアプローチも違う。

それをヴェルディに置き換えたとき、私はカラヤンとクライバー、どちらのコーヒーを目指すべきか考えてしまった。

結果、多分カラヤン。

かなぁ・・・?

いや、クライバーと仲は悪いが、ちょっとクライバーに憧れているカラヤン?

いや、私は意外とクナパーツブッシュかも。

ラ ボエーム

2026年9月6日 

今日はモーニングの時間帯だけ出勤して、その後一路高槻へ。

立命館大学交響楽団の第二回オペラ公演へ行ってきた。

お客様の中に、立命館の方がいらっしゃって、今回の公演のチラシを置いてほしいと言われたので、チラシを置きつつ私もオペラは好きなので出演者を見ていたら、なんと主役のミミ役が和田 悠花さんではないか!

和田さんは、京都芸術大学店があった2018年12月24日に、サロンライヴで井上 大聞さんと一緒にご出演下さって、90回に及ぶヴェルディサロンライヴ史上最高の入場者記録を達成された素敵な歌姫。

そのときの私の感想としては、ぜひ和田さんの歌う「ムゼッタのワルツ」が聴きたい!というものだったが、まさかのムゼッタではなくミミ!!

これは万難を排して観に行かねばと言うことで、日曜日の昼間に私が不在になるというのは、産地へ行っているときでもない限り滅多にないことではあったが、今回はシフトも厚くできたので行かせてもらった。

プログラムと一緒に、出演者の方が書きおろした、こんな人物相関図が入っていて、なんだかほのぼの

肝心の舞台の方は、確かに学生オケなので、演奏の質としては、私が普段聴いているCDやDVDの演奏と比べるのは野暮というものだが、オケはしっかりソリストや合唱、舞台の振り付けとシンクロしていて、大変な努力と練習を重ねたのであろうことが伺える。

専門家ではないので、一般の音楽愛好家レベルではあるが、けっこう多くのオペラを聴いている中、オケの音色の質以外の面では、全く違和感なく聴けて、終わってみれば「これは本当に学生オケがピットに入ったオペラだったのか?」と思わせるレベル。

オペラの伴奏としては、申し分ない完成度で、ソリストはもちろん、学生の皆さんの熱量と、本番までの間に指導された方々、本番を振ったマエストロ阪さんの適切なタクト、裏方の皆さんの献身、それら全ての集大成が今日の舞台だったのではないかと思う。

そして、私が海外の第一級オペラハウスの公演を観て一番強く感じるのは、合唱のレベルで、ミラノにせよ、ウィーンにせよ、この人数で、この圧倒的な合唱のレベルはなんだ!?といつも感嘆させられたのだが、今回の合唱は、比較的小人数なのに、見事な歌声を聴かせてくれた。

少年合唱も素晴らしく、合唱がベルカントしてる!?という感じだった。

和田さんのミミは、ともかく純粋で流麗。

良い意味で、HIMARIさんのヴァイオリンみたいなイメージ。

むせび泣くピアニッシモから、フォルテッシモの高音まで、実に伸びやかに綺麗に響く歌声で会場を魅了していた。

ロドルフォの水口さん、前に何かで一度聴いたことがあったように記憶している。

ただ、今回はかなり調子が悪かったようで、一幕の「冷たい手を」では「ヤバっ」という心の叫びが聞こえてくるような雰囲気だったが、3幕・4幕とだんだん調子が戻り、同時に若干唱法を変えたようで、無事幕が下りるまでしっかり歌い切られたところは、さすがプロだと敬服。

そして、初めて聴いたムゼッタの山岸さん!惚れちゃいました。

すごいはまり役、あの高音をやすやすと2階後方席まで、まるでレーザービームのように突き刺す、のみならず、歌い方から役作りまで素晴らしかった。

マルチェッロの迎さん、ショナールの市川さんの安定感ある歌声が、全体をしっかりと引き締めていて、躍動感ある舞台になっていた。

終わってみて、8年前には和田さんの歌う「ムゼッタのワルツ」が聴いてみたいと思ったが、今回は、ちょうどヴェルディの月間ブレンドのモチーフになっていることもあるが、和田さんが歌う「月に寄せる歌」が聴いてみたと思った。

それにしても、学生オーケストラで、オベラ全幕公演に参加できるというのは、本当に凄いことだと思う。

最近の学生オーケストラのチラシを見ると、「よくこんな難曲・大曲に手を出すな」と思うのだが、それは交響曲だったり管弦楽曲だったりで、オペラとなったら全く違ってくる。

もし、学生オケがマーラーの8番を演奏するとしたら、それはもう大変なことだろうと思うのだが、オペラとなったらその何十倍もの大変さのはず。

実際にソリストや合唱との調整、パート練習などには参加していなかったとしても、途中から何度も合わせて、同時に舞台での演出や、各々のソリストの歌い方の掌握など、こんな経験を学生の時点でできてしまう、それを費用の面でも時間の面でも、あらゆる面で甚大な困難が待ち構えているのに、それをさせてしまう立命館という学校にも「ブラヴィー!」と惜しみない称賛を贈りたい。

と、思った日曜の午後だった。

第7番

2026年8月31日 

昨夜は、ついついプロ野球のハイライトなどをたくさん見てしまい、そのうち眠くなって日記を書きそびれてしまった・・・

とりあえず、Gに強いということはいいことだ!

さて、一夜明けて、今日は朝からちょっと家の用事などをして、9時過ぎには下鴨店へ。

今日は月末ということで、何かと作業があったので、お昼過ぎまで下鴨でデスクワークをしてから、午後は北白川へ。

月末って、何かといろいろあるのだが、月末と言うことは、要するに8月も今日でおしまい。

なんか、つい先日お盆だなんて思っていたのに、早いものである。

話は変わって、私の車の中では、CDから取り込んだ音楽が順繰りに流れているのだが、今日はショスタコーヴィチの交響曲第7番を聞きながら出勤。

恐らく、西側諸国では現在最も演奏されないであろう曲。

サブタイトルは「レニングラード」

第二次大戦時のソ連、ナチスに包囲される中、戦時のプロパガンダ色が濃い曲で、反ファシズム(ナチスに対する)の意味合いで作られたと言われ、初演後にはマイクロフィルムでスコアがアメリカへ送られ、ソ連での初演数か月後には、トスカニーニがアメリカでの初演を行ったという、ある意味1940年代の世界観を望める曲。

ただ、ショスタコーヴィチ自身は、既に戦争前から構想を持っていて、ナチスだけではなくスターリン体制に対する批判も込められていたとのことで、なかなか複雑な解釈を持っている。

と、曲が作られた経緯はこんな感じだが、以前私と長女が車で移動しているときも、この曲が流れていて、この曲についての説明をしたことがあった。

作曲の経緯ではなく、初演時の物語。

以下、娘に対する説明

当時のソ連は、対ナチス戦線の中、オーケストラ楽員の中にも死者が多く、徴収されて戦地へ赴いてるものもいたが、この曲を演奏するにあたり、前線から楽団員が呼び戻された。

もうこの世にいない団員も多い中、残った楽団員と集められた奏者たちより演奏された様子は、ホールだけではなく街中にも設置された拡声器やラジオから、国中はもとより、戦地の兵士やナチス軍の耳に届けられた。

ソ連の壮大な国土、平和な日々が雄大なメロディーで表現される中、徐々にナチスの侵攻が始まり、日々その恐怖が増してくる第一楽章は、ファゴットによる死者への追悼メロディーで締めくくられる。

戦前の美しい風景などが見えるようなメロディーの中、常に戦争に対する恐怖が影を落とす第二楽章。

追悼と悲しみ、そして激しい怒りを表現した第三楽章。

そして、重苦しい戦いの中、徐々にソ連は劣勢を跳ね返し、最後は壮大なメロディーに乗って、歓喜の勝利を迎える第四楽章。

その第四楽章の最後の部分、第一楽章の主題が高らかに演奏された直後、急にその主題を妨げるかのようにタ、タ、タ、ターンという、ベートーヴェンの運命の主題のようなリズムが繰り返される。

実は、このリズムはモールス信号の【V】を意味しており、ソ連の戦勝を表現しているもので、演奏終了後のホールは拍手と涙で埋め尽くされ、戦争で疲れ果て、希望を失いかけていた国民を奮い立たせた。

と、説明をしたら、娘はこの曲に対する関心が高くなり、その後車の中でショスタコーヴィチの7番が流れたら「ショスタコーヴィチだね」と、言うようになった。

この曲、本当に壮大で素晴らしい曲なのだが、何も知らずに聞き流したら、単なるBGMになってしまうところ、その曲に込められたストーリーを知ることで、より感情移入ができて、細かい部分までしっかりと聴けるようになる。

これって、コーヒーでも同じで、何の説明もなくコーヒーを飲んだら、単に「美味しいな」だけなのに、その豆についてのストーリーを知ると、より深くその豆を知りたくなり、そしてその豆が好きになっていく。

私たちは、コーヒーを売りつつ、しっかりとその背後にあるストーリーも紹介することで、お客様により良いコーヒーライフを楽しんで頂けるのではないかと、ショスタコーヴィチを聞きながら思った出勤時間だった。

そんなわけで、今日の午前中に下鴨で仕事をしながら聴いたBGMは・・・

同じ7番でも、ショスタコではなくベートーヴェン。

ベートーヴェン 交響曲第7番、第8番

アバド指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

本当はアバドの8番を聞きたくて自宅から持ってきたのだが、ベートーヴェンの7番って、ショスタコとは全く違った感覚で元気がもらえる曲。

7番を聴こうと思っていたら、恐らくクライバー/バイエルンのライヴ盤を持ってきていたと思うが、もちろんアバドも素晴らしい演奏を聴かせてくれる。

仕事をしながら聴くには、ショスタコーヴィチはちょっと重すぎる一方、ベートーヴェンの7番は、仕事を捗らせたいとき、BGMにかけていたら良いかもしれない。

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