自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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音楽レビュー

喫茶店めぐり

2026年6月12日 

京都髙島屋S.C.店が閉店して、今まで私は毎日四条河原町まで配送しなくてはならなかったこと、また、下鴨店はスタッフの人数ギリギリ状態で回していたこともあり、私は開店から閉店まで昼食は配送中の車の中でパンをかじって終わりというような毎日だった。

ただ、その配送がなくなった上、髙島屋の店長が下鴨店に来てくれたこともあり、少し私も時間に余裕ができてきた。

そんなわけで、北白川へ豆を持って行った後や、毎週金曜日の業務用珈琲豆の配達中に少し休憩をとることもできるようになり、ちょっと喫茶店で息抜きなどする時間もできてきた。

と言うことで、今週ちょっと立ち寄ったお店。

紫竹の自家焙煎店、粉屋珈琲さんでエチオピア。

店に入ったら、ヴェルディにもちょくちょくご来店下さるお客様がいらっしゃって、普段はカウンターの中と外でお話するところ、二人ともカウンターの外でお話するという、なんだか変な気分になったりして・・・

東一条、東大路のクラークハウスさんで、お昼ご飯がわりにガトーショコラ。

河原町・今出川のNuCUP COFFEEさんで、中深煎りコーヒー。

たまには他のお店でコーヒーを飲むと、いろいろ考えさせられることもあり勉強になりますねぇ。

そんな日は、ちょっといつもと趣向をかえて、イギリスの作曲家。

エルガー&ディーリアス チェロ協奏曲

ジャクリーヌ・デュプレ(Vc)

バルビローリ指揮 ロンドン交響楽団(エルガー)

サージェント指揮 ロイヤルフィルハーモニー(ディーリアス)

デュプレの演奏、鬼気迫るような迫力ある演奏から、むせび泣くような感傷的な音まで、本当にこの人が若くして亡くなったことが惜しまれる。

エルガーとディーリアス、全く違う雰囲気の2曲が入ったカップリングも良く、普段はあまり聴かないが、たまに聴くと心打たれるCD。

エルガーやディーリアスの曲を聴いているようで、実はデュプレという人の繰り出す音色を聴く一枚。

たまにはこういうのも良いですね。

別物

2026年5月28日 

今日の日記は、何となくつらつらと長くかいてしまったので、時間のない方はこのまま右上の×印をクリックして下さい。

昨夜、グノーのファウストをDVDで観ていたら、何となくバレエの音楽が聴きたくなったので、今夜は白鳥の湖。

チャイコフスキー バレエ白鳥の湖

ランチベリー指揮 フィルハーモニア管弦楽団

ランチベリーという指揮者、普通に管弦楽曲や交響曲しか聴いていなかったら、ほとんど耳にすることのない指揮者だが、バレエの指揮者としては有名な方。

そして、バレエの指揮者って、ほとんどバレエしか振らないから、一般的な管弦楽曲しか聴かない人には馴染みがなくて当然。

で、白鳥の湖は、全曲盤を6枚ほど持っているが、バレエ音楽ほど見方(聴き方)によって演奏の良し悪しが分かれるジャンルも他にないのではないかと思う。

つまり、バレエ音楽として聴くか、管弦楽曲として聴くか。

バレエ音楽として聴く場合、フランス風なのか、ロシア風なのかによっても、ちょっと違ってくるが、それ以前にバレエ音楽の全曲盤を録音している指揮者の大半は、ピットに入ってバレエの本番を振ったことがない人がほとんどだと思う。

そうなると、何が起こるかと言うと、普通に管弦楽曲として聴いた場合は良くても、バレエ音楽として聴いた場合は、「これじゃ踊れない!」とか、「このシーンは、こんな雰囲気ではない」と思ってしまうわけである。

なので、バレエそのものを観ている人なら、視覚的な記憶があるから、この踊りは、こんな風・・・と思って聴いていると、全くそういう風に踊れないようなテンポで演奏されることも多く、その時点で客観的な管弦楽としての評価ではなく、バレエとしてダメな演奏になってしまう。

さらに、そもそも白鳥の湖は、初演のとき大コケで、チャイコが書いた初稿で再演されることはなかったのだが、振付師のプティパによって、ストーリーや曲順が変わり、多くの曲が割愛され、場合によってはその後にみつかったチャイコフスキー パドゥドゥが挿入されたりして今のバレエ上演の形になった。

ただ、実際にバレエとして振っていない指揮者は、現在のプティパによる実際の上演に即したスコアではなく、現在は全曲演奏がされることのない初稿で録音している場合がほとんど。

私が持っているCDの中で言うと、小澤征爾だとか、サヴァリッシュなんて、バレエを観たことがなく、演奏だけを客観的に聴いたら美しいメロディーに聴こえても、実際に白鳥の湖のバレエを観たことがあったら、拒否感を覚えてしまう演奏になる。

個人の嗜好で言えば、バレエ音楽としてはダメでも、唯一プレヴィン盤は管弦楽曲として好きだったりする。

そういう点で言えば、ゲルギエフ盤がバレエを観る人にとってはベスト盤ではないだろうか。

このランチベリー盤、HMVのレビューを見たら、割愛されている曲がいくつかあって、全集版としては「良識のない商品」とまで書かれているが、ゲルギエフ盤は、そもそも初稿ではなく、その後にプティパによって実際のバレエに即した演出に改変されたスコアを使っているため、このランチベリー盤よりもカットされている曲は多いし、初稿のスコアにない別のバレエ音楽の曲が挿入されているし、順番も違うし、憤慨する人がいてもおかしくないが、バレエで白鳥の湖を観ている人にとっては、恐らく最も感情移入できる演奏だと思う。

と、前置きが超長くなったが、最近コーヒーについても同様のことを感じてしまう。

コーヒーという飲み物、「日用品」としての位置付けか、「嗜好品」としての位置づけか、どういう観点で選ぶかということによって、コーヒーの存在意義は大きく変わってくる。

ヴェルディとしては、20種類以上の豆を並べることにより、嗜好品として多くの方が自分好みのものを選んでいただけるようにしつつ、なるべく日用品としても飲めるよう、価格を抑えるように頑張っている。

しかし、ネットで売られている1キロ1,000円みたいな、超安価な日用品にはできないし、100gで1万円もするような、超嗜好品にもできないところが、もしかしたら中途半端な業態なのかもしれない。

でも、私としては、可能な限り多くの方から「美味しい」と評価してもらえるよう、その豆のポテンシャルを発揮できるような焙煎をすることは、開業以来変わらない一貫した経営方針である。

ただ、このところ嗜好品でも日用品でもない、ファッションアイテムとしてコーヒーを扱っているお店も増えている。

私も〇〇コーヒーと書かれているから、同業種だと思って、話題になっている店に行ってみたものの、酸っぱすぎて一杯飲むことが出来なかったということが少なからず。

でも、店自体は今風でカッコよく、そこで働いている人たちも、現代の若者らしいおしゃれなファッション。

何軒か流行りのお店に行った感想としては、「これはコーヒーを売っているのではなくファッションアイテムだな、と。同じコーヒーと呼ばれる商品を扱っていても、実は別ジャンルの商売だ」と実感した。

同じ「白鳥の湖」でも、バレエ観点で聴くか、管弦楽観点で聴くか、その観点によって同じ曲でも大きく感じ方は変わってくる。

しかし、レビューを見ると、両方の観点で書かれたものが混在しているので、「このCDエエのか、アカンのか、どっちやねん!?」となってしまう。

そんなとき、両方の観点があるということを理解していたら、あぁ、この人は管弦楽としてしか聴いたことがないから、こんな感想なんだ、と思えたり、この人は舞台芸術としてのバレエが好きな人なんだ、と分かったりするから、1つ星と5つ星が混在していても納得できてしまうわけである。

が、世の中そんな両方の観点を知っている人ばかりではない。

コーヒー店のレビューを見ていても、その店をファッションとしてとらえるのか、味を重視した飲食物を売る店としてとらえるのか、その観点によって評価は大きく変わってくる。

そんな中、そもそも昔からコーヒーが好きな、ある程度年を重ねたコーヒー愛好家よりも、今までコーヒーをほとんど飲んだことがないまま、ファッションとしてのコーヒーをコーヒーだと思ってしまっている若い人の方がネットの世界では優勢。

なので、特に昔から今風の営業ではなく、味作りにこだわって、営業をしている店は、下手にネットで自分の店の評価なんかを見てしまうと、ちょっと落ち込んでしまうようなことが書かれていることも少なくない。

けど、そんな昔から営業している店に足繁く通ってくださるお客様はまた、ネットに書き込んだり、それを読んだりしない、または自分自身の好みで動くからネットに何が書かれていても気にしない人が多いのだから、実際に自分が接しているお客様の大半には、どうでも良いことだったりする。

とは言え、やはりネットの書き込みは気になってしまう・・・

ので、私は見ないようにしているのだが、何となくやりにくい世の中になっているなぁ・・・と思う今日この頃。

でした。

Va, pensiero, sull’ali dorate

2026年5月23日 

以前にも書いたように思うが、コーヒーをクラッシック音楽に例えるなら

楽譜=原料の生豆

指揮者=焙煎士

オーケストラ=焙煎機

再生するオーディオ=抽出する器具

再生するスピーカー=抽出する人の技術

みたいなものだと思う。

どんなに素晴らしい指揮者でも、そもそも楽譜(曲)そのものに全く魅力がないものだと、その曲の持つポテンシャルを引き出しようもない。

どんなに指揮者が優秀でも、オーケストラがへたくそだと、その指揮者の意図を音にすることはできない。

どんなに素晴らしい演奏でも、再生するオーディオやスピーカーによって、聞こえてくる音の質は変わる。

でも、結局のところ魅力的な曲(楽譜)があり、その曲の魅力を十分に引き出せる指揮者が、しっかりとした技術を持つオーケストラを振れば、良い演奏になるわけで、この楽譜(生豆)、指揮者(焙煎士)、オーケストラ(焙煎機)が全て良くないと、本当に美味しいコーヒーはできない。

ただ、指揮者も全ての作曲家の曲に造詣が深いとは限らず、やはり得意なレパートリーというものはあるし、オーケストラも、技術はあっても曲によっては向き不向きというものもあると思う。

で、最近出版されたこちらの本を購入して読んでみた。(まだ読んでいる最中)

カウンタートークの中で、お客様と「この人(指揮者)の代表盤に〇〇が入っていないなんて・・・」とか「これ、本当にこの人の代表盤か?」とか、ちょっと意見が白熱したりして、でもある意味そういう会話から、お客様の音楽の好みや趣向も分かったりして。

まぁ、この本の著者がその指揮者の代表作として書いているものに、もろ手を挙げて賛成とは言わないが、そもそも音楽も好みの世界なので、誰が見ても全員が納得する選曲などあろうはずもなく、そのあたりを理解しつつ、いろいろとお客様と意見を交わすのは楽しいこと。

ただ、その指揮者の生い立ちから人となりまでを読んでから、その指揮者が振る曲を聴くと、また感じ方も違ってくる。

まだ、【サ】までしか読めていないが、とても面白く読ませて頂いている。

全部読み終えたら、本棚に入れておこうと思うので、興味のある方は手に取ってご覧ください。

でも、意外と指揮者って、ず~っと音楽一本って人もいるけど、紆余曲折を経て、とか、全く違う職業から転じる人もいて、ある種そういった経験が音楽にも厚みをもたせているのかもしれないと思ったり。

結局、音楽って作曲家が作った曲を聴いているようで、実は作曲家が作った曲を鏡に、それを演奏する人の頭の中を覗いているように思う。

コーヒーも、産地(例えばコロンビアとかエチオピアとか)のコーヒーを味わっているようでいて、実は焙煎する人の思いをコーヒーを通して飲んでいるのかもしれない。

と、開業時のときに思ったので、開業以来ヴェルディのロゴには、サブタイトルとして、この文字が書かれているのでした。

Va, pensiero, sull’ali dorate 

ヴェルディ作曲 オペラ「ナブッコ」より

コーヒーに伸びる手とコーヒーから羽ばたく鳥のダブルモチーフになっているロゴ、黄金の翼でありたいと思います。

カラスとヴェルディ

2026年5月11日 

ゴールデンウィークも終わり、今日は下鴨店が定休日。

私はお昼頃から北白川へ行って、連休中にできなかった仕事を片付けていたのだが、通販発送拠点の北白川は、今日もけっこう慌ただしく発送準備をしている。

例年GW期間中は、通信販売のご購入が落ち込むところ、今年は有難いことに昨年の倍近いオーダーを頂き、髙島屋閉店で焙煎量が減るかと思ったのに、逆に豆が足りないほどになってしまった。

明日から、また焙煎を頑張らねば。

そんなわけで、今日は終日仕事と言うわけではなかったので、時間に余裕もあったため、帰宅後は少しゆっくりオペラのCDを聴いてみた。

プッチーニ トスカ

トスカ:マリア・カラス

カヴァラドッシ:カルロ・ベルゴンツィ

スカルピア:ティト・ゴッビ

ジョルジュ・プレートル指揮 パリ音楽院管弦楽団

個人的に、マリア・カラスという歌手は、どのオペラのタイトルロールを歌っても素晴らしい人だとは思わない。

きわめて個人的な感想で言うなら、カラスという類稀なる歌手の場合、はまり役はとことん素晴らしいが、イメージがあまり合わない役柄は、カラスの個性が邪魔をしてしまっているように思う。

で、トスカ。

私の中では、ノルマと並んではまり役の一つで、カラス自身も好きな役だったらしい。

カラスは、トスカをセッション録音では2回(1964年コヴェントガーデンのライヴは除く)録っているが、全盛期という点で言うと、1953年にスカラ座で録音した「最高のトスカ」と評されるものの方が、声そのものは凄かったものの、こちらの64~65年盤は声量こそ落ちていても、細やかな演技と言う点ではさらに凄みを増しているというのが定説。

さらに、カラスの録音としては極めて珍しいステレオというのも有難い。

私としては、ステーファノのカヴァラドッシも良いが、個人的にベルゴンツィが好きなので、二者択一であればこのプレートル盤を選ぶかな?

と、書きつつ思ったのが、カラスの録音って比較対象がカラスなのである。

カラスを他の歌手、例えば、テバルディだとかフレーニとかと比べることはなく、カラスの○○年盤と比べて・・・となるわけである。

ノルマにしても、結局2種類のカラスを買う羽目になってしまうわけで、トスカのCDに関して言えば、カラス盤以外に2枚持っているものの、そちらと比較するのではなく、過去のカラスのトスカとの比較になってしまっている。

つまり、カラスという歌手は、唯一無二の存在。

これって凄いことで、コーヒーに置き換えるなら、ヴェルディのコーヒーと他店のコーヒーを比べるのではなく、ヴェルディのコーヒーはヴェルディで出している他のコーヒーとの比較しかしない、なんてことと同じこと。

多くのお客様にそう思って頂くには、圧倒的に他店を寄せ付けない品質を出さなくてはならないわけで、残念ながらまだまだ私はその域に達していない。

そんなわけで、目指せ、コーヒー界のマリア・カラス!

と、トスカを聴きながら思ってしまった。

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