雨が降っているような、そうでもないような、微妙な霧雨が一日続いた日曜日。
そんな今日は、この3月に大学を卒業するため、最終入店となったアルバイトさんが一人。
2年以上下鴨店で頑張ってくれてありがとう!
4月からは新社会人。
違う環境でも頑張ってほしい。
そういえば、私が新卒で就職したのは、もうかれこれ30数年前・・・
時はバブルが弾けるちょっと前。
入社後最初の店は楽しく過ごせたのだが、その後の転勤先の店は、ともかく人がいなくて、サービス残業月間200時間とか当たり前にこなしている時代だった。
その会社に入ったころ、当時の専務は「納得できる苦労は苦労ではない、なんでこんなこと・・・と思うような、納得できない苦労を重ねることこそ、将来の血となり肉となる」と言うことをおっしゃっていた。
でも、毎日サービス残業をしなくてはならず、出勤日と休日の違いは、タイムカードを押して仕事をするか、タイムカードを押さずに仕事をするかだけという日々。
正直納得できる苦労ではなかった。
が、おかげでけっこう根性もついたし、妙な自信もついた。
4年間、最初の会社で頑張って、次に転職したのは大手製パン会社。
そこの、焼きたてパンチェーン店のお店で働いていたときのこと。
私が配属された店は、六本木と霞が関の間あたりにあるオフィスビルのエントランスにあった。
平日は、朝の8時30分~9時15分までの間に、100人近いお客様がご来店になり、その後店内は閑散とするものの、11時30分~12時30分の1時間で菓子パン・総菜パンが約1,500~1,600個も売れるという、それは恐ろしい店だった。
ただ、オフィスビルなので、土曜は暇で仕込みのためにあるような一日。
日曜日は開けていてもお客様はほとんど来ないので定休日となっていた。
ともかく短時間に大量のパンを焼かねばならず、パンを焼くだけではなく、成形も超速でやらねばならない、ともかくハードな厨房。
そんな店だったので、一人生粋の職人と言えるような年配のOさんと言う人が配置されていた。
その職人のOさんは、見た目おじいちゃんなのだが、ともかくパンの成形が早くて綺麗。
私もOさんのようなスピードと高い完成度を兼ね備えた仕事をしたかったのだが、職人のOさんは、なかなか極意を教えてはくれない。
後姿を見て学べ、というタイプ。
店の方も、めちゃくちゃ忙しいので、聞きたくても聞く時間がなく、見よう見まねでなんとかやっていた。
そんなとき、ふと疑問がわいた。
土曜日に仕込みはするものの、月曜日に出勤してきたら、ドーコンディショナー(成形したパンを冷凍状態から焼き上げられる状態まで温度管理をしながら持って行く機械)の中には明らかに土曜日に仕込んでおいたものよりも多くのパンが入っている。
これは、もしかすると、土曜日の閉店後か日曜日にOさんが一人で仕込んでいるのではないだろうか?
で、ある日曜日の昼頃、店に行ってみたら、案の定Oさんが一人黙々と仕込んでいた。
そこで、「手伝わせてください」なんて言ったら、恐らく「一人でできるから帰れ」と言われるだろうと思い「申し訳ないのですが、私にも勉強させてください」と言って、厨房の中に入った。
すると、予想はしていたが「あんた、今日は休みだろ、帰って酒でも飲んで休んでいな」とのこたえ。(私が酒を飲まないことをOさんは知らなかった)
そこで引いたら、そこまでのこと。
その日はいったんあきらめて帰り、翌週は朝早く店に行って、一人で成形をしていたら、そこへOさんがやってきて「何やっているんだ」と言われたので「私のどこが良くないのか教えてください」と仕上げたパンを見せてみた。
すると、「見ててみな」という感じで、残りの成形を始めたOさん。
横で私は、成形についての質問をしてみた、すると、思いもよらず丁寧にいろいろと教えてもらえるようになり、毎週日曜日は、Oさんからパンのことについて、いろいろと教わる日になった。
そして、2か月ほど経ったある日「よろしければ、日曜日の仕込みは私に任せて、Oさんはお休みくださいませんか?」と言ったところ「あんたも、ぼちぼち大丈夫だろう、なら休ませてもらうわ」と、日曜日の仕込みを私に任せてくれることになった。
もちろん、日曜日は定休日なので、一日仕込みに出たとしても出勤としては認められないが、それ以上に私のパンに対する技術をOさんに認めてもらえたことが私にとっては大きな成果だった。
少なくとも、その時期の私は、将来的にパンで生計を立てようと思っていたので、言わば修業の一環だったわけで、修行となったら給料云々、残業云々ではなく、技術を得るためであればお金も休みもいらないのが当然という思いであった。
ただ、そう思えたのは、最初の会社で当たり前のようにサービス残業をしてきたおかげかもしれない。
しかし、日曜日に休日返上で仕込みをする、というのは、自分にとっては納得できる苦労だったので、休みがない、という感覚はなく、むしろ自分にとってプラスだという思いであった。
そして、仕事が「パン」から「コーヒー」にかわっても、修行というものはついてくる。
が、何かの技術を「形」ではなく「本質」で習得する方法を身につけていれば、それがパンであっても、コーヒーであっても、カレーであっても掘り下げ方は大きく変わらないわけである。
まぁ、そんな感じで仕事をしてきた私なので、こと技術の習得とか、仕事、というものについての姿勢は昭和の時代から変わっていないのかもしれない。
いや、技術の習得ということに対する意識というものは、もっと昔から普遍的なものなのではないだろうか。と思う。
珈琲専門店をしていると、将来コーヒーの仕事がしたいから、修行させてほしい、と、就職希望を言ってくる人も少なくない。
ただ、私は聞かれなくても全てを教えるつもりは毛頭なく、作業に必要なことは教えても、そこから先の本当に必要な技術や手法というものは、必死でくらいついてくる人にしか、決して伝授しないし、自分から日々の勤務というのを離れてでも習得しようという志のない人は、何年やっていようが焙煎をするにあたって本当に必要な考え方や技術というものは教えない。
でも、サラリーマンとして日々の仕事を平穏に行うだけではなく、修行の身として真剣に私にくらいついてくる人には、プライスレスでしっかりと私が20年かけて身につけたことを継承しようとは思っている。
要するに、修行と言いつつ、単に店を回すだけの仕事をしているのであれば、会社としてはそれに見合った給料を払っているのだから、それ以上を与える必要はないわけで、本当に技術を習得したいと思ってくらいついてくる覚悟がある人には、給料だけでは決して得られないものを与えたい。
というのが、私の基本スタンス。
今、ヴェルディにはコーヒーを学びたいと言って入ってきた社員希望の人がいるのだが、彼、彼女は店を回すだけの作業員になるのか、本当にコーヒーのことを学べるのか、後者であってほしいと切に望んでいる。
でも、結局今の時代は、がんこオヤジから技術を学ぶのではなく、とりあえずサラリーマンをやりつつ、You Tube で検索したら大丈夫、という考え方が主流なようで、もしかしたら私の考え方とか生き方って、もう化石の時代に入っているのかもしれない。
以上、結構長い独り言でした。