自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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たわごと

好きなものは、あえて外す

2026年10月11日 

3連休中日。

今日は開店と同時に、ほぼ満席になって、普段だったらお昼前にいったん落ち着くのに、なんだかそのまま突っ走った一日だった。

だいたい三連休は、お客様が中日に集中する傾向になるのだが、明日はどうなることやら・・・

話は変わって、先日は久しぶりにオーケストラのコンサートへ行ってきたのだが、演目が私の最も好きな曲の一つ、ブルックナーの交響曲第6番だったため、恐らく他の曲を聴くよりも、マニアックに聴いてしまっていたように思う。

そして、好きな曲って、自分にとってその曲の基本となる、好きな演奏があるもので、私の場合ヨッフムが1980年11月2日にコンセルトヘボウを振ったライヴ録音で、他の演奏を聴いたときは、どうしてもこの録音と比較してしまう。

その際、比較と言っても、その演奏が良いか悪いかではなく、私の好みか否かということが判断材料になってくる。

個人的な嗜好として、好みか否かであって、それが演奏そのものの質に対して客観的に良いか否かではない、ということを自覚していれば問題ない。

(もちろん、演者の技術不足による上手くない演奏というのは存在するが)

しかし、人間って往々にして、「好き=良い、好きではない=良くない」と捉えてしまうことがある。

なので、私が好きな曲や舞台、食べ物などを聴いたとき、観たとき、食べたとき、飲んだときは、自分の好みか否かであって、絶対的価値観ではないこと、自分の個人的好みを伏して見た場合、評価すべき点は客観的に評価すべきと自分に言い聞かせながら判断するように心がけている。

とは言え、人間はそんな完ぺきではないので、そうもいかないこともあるわけで、ましてや普通にヴェルディのお客様としてご来店下さった方が、必ずしも自分の個人的好みを超越して評価して下さるとは限らない。

さて、ヴェルディによくお越し下さる常連さんは、何をお召し上がり下さっても、それが自分の好みとは違っても、大勢の中で良くも悪くもヴェルディの評価が激変することはないのではないかと思う。

が、初めてご来店下さったお客様にとっては、今お召し上がりになった一杯がヴェルディの全てになるのだから、それがそのお客様の好みに合ったのか否かが、ヴェルディの評価になってしまう恐れがある。

そして、初めてのお客様がご注文になるコーヒーは、そのお客様にとって「好きな銘柄」であることが少なくない。

ご注文のときも「〇〇が好きなので」と言いながら、その銘柄をご注文になることがある。

しかし、例えばグァテマラと言っても、生産地域や標高、精選方法などによって、もっと細かく言えば、作っている農園によってその豆のポテンシャルは変わってくるし、そこに焙煎と言うファクターが入ることで、風味はダイナミックに変わってくる。

好きなものには、その人にとって特定の好きな一品が存在するはずで、コーヒーで言えば、その方が通っているお店のグァテマラが好きだからとご注文下さった時点で、その方が通っているお店のグァテマラとヴェルディのグァテマラが比較されることになってくる。

でも、前述の通り、生産地域や農園、精選方法、焙煎などが違うのだから、同じ土俵で比較出来ようはずもない。

言ってみれば、「リンゴが好き」と言っている方が、普段【王林】を食べていて、それが「リンゴ」だと思っているところに、【サンフジ】を食べさせるようなもの。

店としては、できればそういう不毛な戦いには参戦したくない。

そんなわけでヴェルディでは、なるべく初めてのお客様には【ヴェルディブレンド】をお勧めしているわけで、モーニングやランチのメニューにも「迷ったらコレ」と書いている。

ヴェルディブレンドは、誰彼関係なく、安心してお召し上がり頂けて、毎日飲んでも飽きない、そして、「特に極深煎りでなくては!」とか、「酸っぱいコーヒー以外はコーヒーじゃない!」と主張されているような方を除き、ほとんどの方が「美味しい」と感じて頂けるように作っている。

ブレンドで、ヴェルディの方向性と言うものを知って頂き、そのうえで、それぞれのストレート豆にすそ野を広げて頂ければ、それが一番良いと思うのだが・・・

しかし、ヴェルディブレンドをお勧めしたとき、「マイルドな方が好き」と言われたので、「では、マイルドブレンドはいかがですか?」と訊いたら「いつもよそではマイルドブレンド頼んでいるから、今日は違うのを」と言われたこともある。

珈琲専門店における【銘柄】というものは、その店固有のものだということを知って頂くのは、なかなか難しいものである。

そんなわけで、私もどこかへ行ったとき、またコンサートのチケットを買うとき、そのお店なり、アーティストをよく知っていて、安心して購入できる場合を除き、あえて自分が特に好きなものは選ばない。

というのも重要かと感じた昨日のコンサートだった。

Torniamo all’antico e sarà un progresso

2026年10月6日 

YouTubeを開けたら、自分が登録しているチャンネルと同時に、よく見るジャンルの動画が出てくる。

私の場合、クラッシック音楽関係、オペラやバレエ、それにタイガース関係と、ホラー系のものが並ぶのだが、先日⇩この動画が出てきたので見てみた。

私は、けっこう同業者から嫌われる傾向にあると自覚しているのだが、まぁ、世の中だいたい本当のことを言うと嫌われてしまうもの。

それを覚悟でこの動画をアップしたHo.Qo.さんには敬意を表するかも。

で、この動画を見て、私はそんなの細かいところまでバレエに詳しいわけではないが、大技だけではなく、群舞の美しさとか、言葉がない分、表情や手の先から足の先までを使った感情表現とか、観ていて何を表現しているのかが分かる、そしてその踊りや一挙手一投足に見とれつつ共感できるのが、芸術としてのバレエだと思っている。

ジャンプの高さ、たしかにカッコイイ、回転数やスピード、たしかにスゴイ。

でも、Ho.Qo.さんが言う通り、確かにそれだけではない。

これって、バレエだけではなく、他のクラッシック音楽でも同じことが言えるように感じている。

例えば、ハイフェッツのヴァイオリンって、目をつぶって聴いていてもハイフェッツだと分かるし、その曲に対する姿勢、考え方、表現といったものが、しっかりと伝わってくる。

一方、最近大人気の若手ヴァイオリニストの演奏を目をつぶって聴いたら、その完璧なまでのテクニックには感嘆するものの、もしかしたらこれはAIが弾いているのではないか?と思ってしまうときもある。

コーヒーに置き換えてみると、ゲイシャだ、アナエロだ、インフューズドだ、と、派手で分かりやすいものがもてはやされる時代。

ヴェルディでも、限定コーヒーとしてスポットでこういったコーヒーを販売してはいるものの、それはあくまで変化球であって、実際に店舗で最も売れているのは、何が出ようとヴェルディブレンド。

私のコーヒーに対する解釈と言うか、何を最大の力点にするかと言うと、まずはクリアな味であると言うこと、口に含むと風味は豊かだけど、雑味がないもの。

後味については、芳醇な余韻はあっても、スッキリとしていて、嫌な味は決して残さない。

そして、毎日飲んでも、一日何杯飲んでも飽きない味であること。

そこが、飲料としてのコーヒーを考えたときの基本だと私は思っているので、そのようにできる生豆を仕入れ、ハンドピックをして、適切に焙煎を行っている。

ただ、世の中のコンテストなどでは、派手な味が良しとされる傾向にあり、確かに香りも味も良いけど、毎日飲んでいると飽きてくるようなものも少なくない。

さらに、香りや酸味を強調したいがゆえに、生焼けの焙煎をして、一杯飲んだら胃が痛くなるようなものまで良しとされているのが現実。

料理においても、繊細な日本料理の出汁の味よりも、アメリカナイズされた派手な味に傾いているように感じる昨今。

ここから先を言うと、また嫌われそうなので抑えておくが、まぁ、バレエに限らず、クラッシック音楽に限らず、そしてコーヒーや料理に限らず、「守・破・離」ではなく、破離破離になってしまうと、守るべき基本を知らないのだから、何かあったとき、元に戻れなくなってしまうのではないかと思う。

ヴェルディの店名にお名前を拝借した、作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの名言に、こんなものがある。

“Torniamo all’antico e sarà un progresso”

直訳すると「源泉に戻ろう、それは進歩である」意味としては、「源泉に戻ろう、そこから新たな命を汲み取るために」と解釈されている。

音楽の友のWebマガジンによると、「自分たちの偉大な先人たちが築いたイタリア音楽の伝統や基礎(源泉)をもう一度見つめ直し、血肉化することこそが、真の新しい創造(進歩)に繋がる」と主張したということで、安易な懐古主義ではなく、「原点にある本質的なものを学ぶことが、未来へ進むための最大の礎になる」という、時代を超えてあらゆる表現や活動に共通する本質を突いた名言だと思う。

カフェ・ヴェルディには、守るべき源泉があるから、もし何かおかしなことが起こっても、そこに立ち返って、そこから今一度積み上げることができる。

けど、派手なことをするためだけの技術を是としてしまうと、少し傾いたときに戻るべき源泉がないから、倒れるしかない。

なんてことをこの動画を見ながら思っていました。

おしまい。

10月!

2026年10月1日 

10月!早いもので、今年も残すところ3か月。

9月の中旬あたりまでは、常連のお客様以外は、アイスのご注文が多かったところ、先週あたりから、その日の気温でアイスコーヒーとホットコーヒーの出方がコロコロ変わる日々だった。

こんどの定休日明けから、下鴨店のメニューも入れ替えようと思っているが、今日は比較的アイスもよく出て、衣替えの時期とメニュー替えの時期は、ちょっと難しい。

さて、今日の午後から入店した学生アルバイトのK君。

夏休みを利用して、タイヘ旅行に行ったのだが、タイもコーヒーの産地。

そこで、タイのコーヒー豆をお土産に買おうとしたものの、タイの自家焙煎店へ行ってタイ産の豆を購入しようと思ったら、タイ国内の自家焙煎店では自国産の豆を売っていなかったらしく、お店の人に「タイ産のコーヒーはないのか?」と尋ねたら「何言ってるの?」みたいな対応だったらしい。

まぁ、だいたい生産国って、グレードの高い豆は外貨獲得のための輸出商材で、グレードの低い豆が国内消費用ということが多い。

ブラジルでも#8以下は輸出対象外となっているし、エチオピアもG8以下は国内消費用と位置付けられている。

タイはそのあたりどうなのか、ちょっと興味が出てきたところだが、タイでフルーツフレーバーの香りのコーヒーを飲んだそうだが、鼻からの香り、つまりsmellの部分は、すごいフルーツの香りがしたそうだが、口の中で感じる風味の方では、ほとんどフルーツフレーバーがなかったとのこと。

ヴェルディでたまに提供するインフューズドコーヒー、先日までは「スマトラメロン」を出していたが、あればメロンと一緒にファーメンテーションすることで、メロンの風味を豆の中に移しているため、煎り豆の香り(smell)は、そんなに強くないが、口に含んだらメロンの味、という感じ。

しかし、アルバイト君が飲んだのは、smellはすごかったけど、味はしなかった。

と言うことは、恐らくそういう香りのする添加物を豆に加えているのだろう。

コーヒーの産地でも、特にブラジルなどへ行くと、自国でもコーヒーの提供方法をいろいろと工夫している様子が見えるのだが、日本人の目から見ると、ちょっとこねくり回しすぎでは?と思うものも少なくない。

生産国の一つであるタイは、後付けのフレーバーでバラエティーを増やすなんて、そうきたか!?と思ってしまった。

まぁ、アルバイト君が行ったお店が、タイのコーヒーの全てではないと思うが、ちょっと私も行ったことのない生産国の事情が垣間見られて面白かった。

同時に、ヴェルディで働いて、コーヒーについての関心を高めてくれて、ちょっと嬉しい。

これからも、皆でスタッフがコーヒーについての見識を深められるよう、頑張って行こう。

世界一

2026年9月29日 

たまにお客様からヴェルディへの称賛の言葉として、「世界一美味しいコーヒーや」と言って頂くことがある。

とても嬉しい反面、内心では「それはあり得ないだろう」という思いもある。

ともかく、上には上がいるので、本当に世界一というのは、恐らく誰も分からないだろう。

さらに、何を基準に世界一と言うかということも問題で、例えば「世界で一番コーヒー豆を売っている」と言うのであれば、難しいだろうけど全てのロースターの販売量を集計すれば見つけることも可能かもしれない。

が、こと【味】について言えば、Aさんは世界一だと思っても、Bさんは別の店のコーヒーの方が美味しいと言うかもしれない。

それに、どんなコーヒーマニアであっても、世界中の全てのコーヒーを飲むなんて絶対不可能なのだから、軽々しく世界一という表現はできないし、どんなジャンルでも、その世界を知れば知るほど「No.1」を選ぶことは究極的に難しいことだと言うことが分かってくるはず。

そう言ったら、例えば100mを何秒で走るか、とか、42.195キロを何分で走るか、といった、具体的に数字に表れるものであれば世界一を決めることはできる、と思われるかもしれない。

しかし、アフリカへの山間部へ行ったら、恐らくオリンピックの金メダリストよりも走るのが早い子供を探すことも不可能ではないと思う。

写真は、標高2,500mの高地で、車と並走する子供。

コーヒーに落とし込んで考えてみると、抽出や焙煎のコンテストで優勝した人のお店でコーヒーを飲んでも、「普通に美味しい」としか感じないことも多く、場合によっては、自分の好みには全く合わないことすらある。

かつて、私はシャムさんでタイカレーを食べた後、あまりの美味しさに感動して、「ここより美味しいタイカレーはあるのか?」と、いろんなお店で食べ歩いたが、残念ながらシャムさんよりも【私が美味しいと思える】お店には出会っていない。

が、私がシャムさんをオススメした方が、行ってこられて感想を述べられたとき「うん、まぁ美味しかった」という表現をされた。

つまり、その方にとってシャムさんは、感動レベルの美味しさではなく、普通レベルの美味しさだったということになる。

何を食べても飲んでも、人の好みは千差万別、だから同じジャンルの中でも、いろいろなお店が共存できるわけである。

まぁ、そうしてみると「ヴェルディのコーヒーは世界一美味しい」と言って頂いて喜ぶのではなく、「その方が今まで経験した中では、ヴェルディのコーヒーが一番お口に合った。」と解釈するのが一番しっくりくる。

で、結局何が言いたいのかというと、今月はなぜかブラームスを聴くことが多く、先週からブラームスの交響曲を1番から順に、私が持っているCD数種類を聴き比べていった。

昨日、第4番を聴いて、とりあえず今回のブラームスシリーズは終了となったのだが、私はカラヤン/BPOでブラームスの交響曲を全曲生で聴いたことがあり、その当時は若気の至りということもあり、カラヤンのブラームスこそ世界一だと思っていた。

確かに、生で聴いた中では、一番だったが、録音した音源となれば話は変わってくる。

実際、カラヤン/BPOのブラームスのCDは持っていて、長く愛聴盤になっているのだが、そこへ来てクライバー/VPOのブラームス4番を聴いたら「これ、カッコイイ!」と感動してしまい、いったいどちらが世界一なのか?と思うようになった。

しかし、私はブラームスの4番のCDを7枚しか持っていないわけだが、現在市中に出回っている同曲のCDは軽く2~300枚を超える。

それ全部を聴き比べないと、世界一は決められない、と言うか、私が好きな演奏第一位は決められない。

が、そんなの全部聴けるはずもない。

結局は、自分の持っているCDが、私の中のブレームスワールドの全てなわけで、私が形成している世界の外にあるものについては、選定の範囲外ということになるが、よりその曲を知るためには、なるべく多くの録音を聴きこんで、多様な解釈を知らないと、小さな世界の中だけで物事を見ることになってしまう。

と言うわけで、見分は広げつつ、結局はその日の気分で自分の持ち駒の中から何を聴くかを決めるしかないのだが、少なくともカラヤンとクライバーは、その筆頭候補になるだけという話。

二つの演奏は、と言うか、二人の指揮者は全く違う個性で、曲に対する解釈やアプローチも違う。

それをヴェルディに置き換えたとき、私はカラヤンとクライバー、どちらのコーヒーを目指すべきか考えてしまった。

結果、多分カラヤン。

かなぁ・・・?

いや、クライバーと仲は悪いが、ちょっとクライバーに憧れているカラヤン?

いや、私は意外とクナパーツブッシュかも。

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