自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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たわごと

間もなく終了

2025年4月11日 

今週の月曜日から販売を開始した「イエメン・ジェニュイン モカ

おかげさまで、本日残っていた生豆の最終焙煎をしたので、各店1キロ弱で販売終了となります。

前回も入荷したものが10日ともたずに売切れたイエメン・モカ。

世界に広がるコーヒーの原点とも言えるイエメン産の希少なコーヒー、ご希望の方はお早めにお求めくださいませ。

さて、今朝の出勤途中、川端通を走りながら横目で鴨川沿いの桜を見ると、昨日の雨でけっこう散ってしまった感がある。

休みを取れたら撮影に行こうと思っていたが、残念ながらこの3月~4月は休みがとれそうにないので断念。

残念だなぁと思いながら、出町柳から下鴨本通りへ抜ける橋を通過したところで、女子高生が横断歩道を渡ろうとしていたのでとまったら、ぺこりと会釈をして早足に渡っていった。

見ると、娘が一昨年まで着ていたのと同じ制服。

ちょっと懐かしさと、妙な親近感を覚えつつ、何となく気分よく店に着いた。

で、出勤して開店準備を終えた後、少し時間があったので店頭の植栽をちょっと撮ってみた。

桜でも、こういう小さな花でも、遠くから群生しているところを見るのと、近寄って見るのでは、ちょっと印象が変わってくる。

「コーヒー」というものについても、マクロの視点で見るかミクロの視点で見るかで、けっこう変わってくるもので、私のようなコーヒーを仕事にしているものとしては、遠近両方でしっかりと見据えていかねば、と、花を撮りながらいつも思うのであった。

昭和オヤジの独り言

2025年3月2日 

雨が降っているような、そうでもないような、微妙な霧雨が一日続いた日曜日。

そんな今日は、この3月に大学を卒業するため、最終入店となったアルバイトさんが一人。

2年以上下鴨店で頑張ってくれてありがとう!

4月からは新社会人。

違う環境でも頑張ってほしい。

そういえば、私が新卒で就職したのは、もうかれこれ30数年前・・・

時はバブルが弾けるちょっと前。

入社後最初の店は楽しく過ごせたのだが、その後の転勤先の店は、ともかく人がいなくて、サービス残業月間200時間とか当たり前にこなしている時代だった。

その会社に入ったころ、当時の専務は「納得できる苦労は苦労ではない、なんでこんなこと・・・と思うような、納得できない苦労を重ねることこそ、将来の血となり肉となる」と言うことをおっしゃっていた。

でも、毎日サービス残業をしなくてはならず、出勤日と休日の違いは、タイムカードを押して仕事をするか、タイムカードを押さずに仕事をするかだけという日々。

正直納得できる苦労ではなかった。

が、おかげでけっこう根性もついたし、妙な自信もついた。

4年間、最初の会社で頑張って、次に転職したのは大手製パン会社。

そこの、焼きたてパンチェーン店のお店で働いていたときのこと。

私が配属された店は、六本木と霞が関の間あたりにあるオフィスビルのエントランスにあった。

平日は、朝の8時30分~9時15分までの間に、100人近いお客様がご来店になり、その後店内は閑散とするものの、11時30分~12時30分の1時間で菓子パン・総菜パンが約1,500~1,600個も売れるという、それは恐ろしい店だった。

ただ、オフィスビルなので、土曜は暇で仕込みのためにあるような一日。

日曜日は開けていてもお客様はほとんど来ないので定休日となっていた。

ともかく短時間に大量のパンを焼かねばならず、パンを焼くだけではなく、成形も超速でやらねばならない、ともかくハードな厨房。

そんな店だったので、一人生粋の職人と言えるような年配のOさんと言う人が配置されていた。

その職人のOさんは、見た目おじいちゃんなのだが、ともかくパンの成形が早くて綺麗。

私もOさんのようなスピードと高い完成度を兼ね備えた仕事をしたかったのだが、職人のOさんは、なかなか極意を教えてはくれない。

後姿を見て学べ、というタイプ。

店の方も、めちゃくちゃ忙しいので、聞きたくても聞く時間がなく、見よう見まねでなんとかやっていた。

そんなとき、ふと疑問がわいた。

土曜日に仕込みはするものの、月曜日に出勤してきたら、ドーコンディショナー(成形したパンを冷凍状態から焼き上げられる状態まで温度管理をしながら持って行く機械)の中には明らかに土曜日に仕込んでおいたものよりも多くのパンが入っている。

これは、もしかすると、土曜日の閉店後か日曜日にOさんが一人で仕込んでいるのではないだろうか?

で、ある日曜日の昼頃、店に行ってみたら、案の定Oさんが一人黙々と仕込んでいた。

そこで、「手伝わせてください」なんて言ったら、恐らく「一人でできるから帰れ」と言われるだろうと思い「申し訳ないのですが、私にも勉強させてください」と言って、厨房の中に入った。

すると、予想はしていたが「あんた、今日は休みだろ、帰って酒でも飲んで休んでいな」とのこたえ。(私が酒を飲まないことをOさんは知らなかった)

そこで引いたら、そこまでのこと。

その日はいったんあきらめて帰り、翌週は朝早く店に行って、一人で成形をしていたら、そこへOさんがやってきて「何やっているんだ」と言われたので「私のどこが良くないのか教えてください」と仕上げたパンを見せてみた。

すると、「見ててみな」という感じで、残りの成形を始めたOさん。

横で私は、成形についての質問をしてみた、すると、思いもよらず丁寧にいろいろと教えてもらえるようになり、毎週日曜日は、Oさんからパンのことについて、いろいろと教わる日になった。

そして、2か月ほど経ったある日「よろしければ、日曜日の仕込みは私に任せて、Oさんはお休みくださいませんか?」と言ったところ「あんたも、ぼちぼち大丈夫だろう、なら休ませてもらうわ」と、日曜日の仕込みを私に任せてくれることになった。

もちろん、日曜日は定休日なので、一日仕込みに出たとしても出勤としては認められないが、それ以上に私のパンに対する技術をOさんに認めてもらえたことが私にとっては大きな成果だった。

少なくとも、その時期の私は、将来的にパンで生計を立てようと思っていたので、言わば修業の一環だったわけで、修行となったら給料云々、残業云々ではなく、技術を得るためであればお金も休みもいらないのが当然という思いであった。

ただ、そう思えたのは、最初の会社で当たり前のようにサービス残業をしてきたおかげかもしれない。

しかし、日曜日に休日返上で仕込みをする、というのは、自分にとっては納得できる苦労だったので、休みがない、という感覚はなく、むしろ自分にとってプラスだという思いであった。

そして、仕事が「パン」から「コーヒー」にかわっても、修行というものはついてくる。

が、何かの技術を「形」ではなく「本質」で習得する方法を身につけていれば、それがパンであっても、コーヒーであっても、カレーであっても掘り下げ方は大きく変わらないわけである。

まぁ、そんな感じで仕事をしてきた私なので、こと技術の習得とか、仕事、というものについての姿勢は昭和の時代から変わっていないのかもしれない。

いや、技術の習得ということに対する意識というものは、もっと昔から普遍的なものなのではないだろうか。と思う。

珈琲専門店をしていると、将来コーヒーの仕事がしたいから、修行させてほしい、と、就職希望を言ってくる人も少なくない。

ただ、私は聞かれなくても全てを教えるつもりは毛頭なく、作業に必要なことは教えても、そこから先の本当に必要な技術や手法というものは、必死でくらいついてくる人にしか、決して伝授しないし、自分から日々の勤務というのを離れてでも習得しようという志のない人は、何年やっていようが焙煎をするにあたって本当に必要な考え方や技術というものは教えない。

でも、サラリーマンとして日々の仕事を平穏に行うだけではなく、修行の身として真剣に私にくらいついてくる人には、プライスレスでしっかりと私が20年かけて身につけたことを継承しようとは思っている。

要するに、修行と言いつつ、単に店を回すだけの仕事をしているのであれば、会社としてはそれに見合った給料を払っているのだから、それ以上を与える必要はないわけで、本当に技術を習得したいと思ってくらいついてくる覚悟がある人には、給料だけでは決して得られないものを与えたい。

というのが、私の基本スタンス。

今、ヴェルディにはコーヒーを学びたいと言って入ってきた社員希望の人がいるのだが、彼、彼女は店を回すだけの作業員になるのか、本当にコーヒーのことを学べるのか、後者であってほしいと切に望んでいる。

でも、結局今の時代は、がんこオヤジから技術を学ぶのではなく、とりあえずサラリーマンをやりつつ、You Tube で検索したら大丈夫、という考え方が主流なようで、もしかしたら私の考え方とか生き方って、もう化石の時代に入っているのかもしれない。

以上、結構長い独り言でした。

サービス業、向き不向き

2025年2月17日 

今日は朝から下鴨店で打ち合わせをした後、北白川へ行って5品ほど焙煎。

その中の一つは、今まで使っていた豆の在庫が商社にもなくなったので、新しく別のところから仕入れたものだったが、これが既存のものと同じ銘柄で売ってはいけないだろう、と言うほどの高いクオリティー。

確かに今まで使っていた豆と比べると、3割ほど高くはなったが、まぁ、現状のコーヒー相場からしたら仕方ないかと購入したものの、これは逆に安いのではないか?と思えるほどの豊かな香り。

そんなわけで、レギュラー商品にすべきか悩んでいるところ。

また改めてこの豆をどうするかについては書かせて頂きます。

焙煎と髙島屋への配達を終えたら、今日は長女のちょっとした記念日だったので、家族で食事にでかけた。

最近は、ファミレスのようなチェーン店へ行くと、テーブルの機械で注文したり、無人のレジで会計を済ませることが多い中、今日はスタッフの人が注文をとりにきて、有人のレジでお会計を済ませ、機械的なサービスではなく、ちゃんと人のサービスを受けた気分になった。

でも、人不足の時代、そうして人員を確保することも難しくなっている。

ヴェルディでも、2月から3月は、卒業を控えたアルバイトさんが、間もなく退職してしまう季節。

さらに、この3月には社員も一人退職の意志を伝えてきたので、下鴨店だけで社員アルバイト合わせて3名が退職することになる。

そこで、例年ならアルバイト募集をかけるところなのだが、先日この日記で密かに社員を募集していると書いたところ、二人ほどヴェルディで働きたいと言ってきてくれる人がいたので、今年はアルバイト募集をかけるかどうか・・・

そんな入れ替わりの季節、新人さんの実力と言うか、適性を見る中で、私は何気ない行動で判断することが多い。

その一つに、以下のようなことがある。

昨年まで北白川で焙煎を担当していた太田さんが退職したため、現在北白川では、新たに焙煎を担当すべくYさんという人が焙煎の研修中。

そんなこともあって、現在焙煎の大半は下鴨店で賄っており、焙煎した豆を髙島屋や北白川へ毎日運んでいる状況。

そこで、私が焙煎を終えて数十キロの豆が入ったケースをかかえて焙煎室から運んでいるとき、店の出入り口前あたりにスタッフが立っている場合もあるのだが、私が店の奥から大きなケースをかかえて外に出ようとしているとき、出入り口の前に立っているスタッフの反応には大きく分けて以下の3つがある。

1,通ろうとするが、スタッフがいて通れないので「通ります」と声を掛けたら、その場からどいてくれる。

2,荷物を持っている私を見て、横に移動して通路を空ける。

3,荷物を両手でかかえている私を見て、横に移動したうえでドアを開けてくれる。

ここで、1の対応をするスタッフについては、恐らく本採用はなく、研修終了と同時に本契約をしない旨伝えることになる。

そして、最近入ってくる人を見ていると、一番多いのが2の対応をする人。

一方で、前回の募集時(昨年の夏頃)に採用した中でも、特に稼働率の高い二人は3の対応をしてくれるので、私としては卒業までぜひ頑張って働いてほしいと願っている。

で、北白川の店長なんかになると、2でも3でもなく、ドアを開けたうえで「他に荷物はありますか?」と訊いて、あればそれを持って車まで運んでくれる。

私もこれまで30年以上フードサービスの仕事をしてきた。

大手チェーンの場合は、しっかりしたマニュアルもあるので、その通りにしていれば間違いはないのだが、ヴェルディのような小さなお店の場合、マニュアル通りに行くことの方が少ないほど。

そんな個人の資質が問われる職場においては、上の例でいうところの3ができないと、なかなか良い接客はできないもの。

でも、それって教えてできるようになるかと言うと、なかなか難しい。

採用したスタッフが、サービス業に向いているかどうかの判断するため私が注意して見る材料は、上記のほかにもいろいろとあるのだが、その根本は人を観察して何を求めているか判断する眼力と、一つ先を読んで行動できる頭の回転を持ち合わせているかどうかということになる。

が、私が飲食業界に入った平成元年頃と比べると、そんなことができる人はどんどん少なくなっているように感じている。

外食をしに行くと、大手チェーンに限らず最近はテーブルにあるタブレットや自分のスマホで注文して、無人レジで支払いを済ませることが多くなってきた時代。

サービス業向けの人材が減っていると嘆くのではなく、あらゆる業態で、そういった人の力に頼らない営業をした方が良い時代なのかもしれない。

一つ訂正

2025年2月12日 

2月4日の日記で、アフリカの紙幣に描かれた絵のことを取り上げましたが、お客様からご指摘を頂きました。

アフリカは部族社会の名残が未だに色濃く残っているため、特定の人を描いてしまうと、その人が属している部族以外の人たちが快く思わないことから、人間ではなく動物を描いているというのが実情。

ただ、1,000シリングのニエレレ元大統領は、タンザニア建国の父と言われる人物なので、部族を超越して尊敬されているため問題ないとか。

と言うわけで、アフリカの多くの国では特定の人物ではなく、動物や風景・建物、人間の場合は特定の人物ではなくその国の象徴的なことをしている人々が描かれているということです。

そう言われると、確かにそうなわけで、私もタンザニアに限らずコーヒーの産地には、良くも悪くも部族社会の歴史が色濃く残っていることは十分理解しているはずだった。

例えば、タンザニアの紙幣を取り上げていたのでタンザニアについて見てみると、もともとタンザニアは、フレンチミッションと俗に言われるように、フランス人の宣教師たちがコーヒー栽培を持ち込んだということになっている。

しかし、それ以前からヴィクトリア湖西岸に位置するブコバ地域では、ハヤ族の人々が自生していたロブスタ種から実を収穫して収益を得ていた。

そんなこともあり、コーヒー栽培を根付かせようとした人々は、当初ブコバのハヤ族に栽培をさせようと試みた。

が、実はハヤ族の人々、細かいことがあまり得意ではなく、コーヒーを栽培していたと思われていたが、実は手を加えなくても、そこそこしっかり育てられるロブスタ種、それも自生していたロブスタ種から収穫していただけなので、繊細なアラビカ種を丁寧に栽培することができなかった。

タンザニア北部、ケニアとの国境近辺には有名なマサイ族も多いが、マサイ族は元々狩猟や遊牧民の部族だったので、果樹栽培はできない。

↑アルーシャ近郊で見かけたマサイ族

そこで目をつけたのが、キリマンジャロ山麓の町「モシ」に多くいる「チャガ族」。

私も、モシを訪れたとき、他の産地と比べてゴミも散乱していないし、産地の田舎としては非常に綺麗な町だという印象を持った。

それは、チャガ族が綺麗好きで細かいことを得意としていたからだった。

その繊細なチャガ族にコーヒー栽培を任せたところ、キリマンジャロ山麓で良質なアラビカ種が栽培されるようになり、タンザニアのコーヒーがキリマンジャロコーヒーと言われることになった。

↑組合に豆を持ち込み計量の順番を待つチャガ族の人たち

その後、コーヒー栽培は広がりを見せ、西部のキゴマや南部のムベヤ、ムビンガといった地域でもコーヒー栽培がさかんになり、今やタンザニアの中でも南部のムベヤ地域の方がキリマンジャロを有する北部エリアよりも多く生産している。

そして、タンザニア産のコーヒーはロブスタの産地ブコバ以外で採れたものは全て「キリマンジャロ」と呼んで良いことになっている。

キリマンジャロ山麓の町「モシ」と南部の「ムベヤ」は、日本縦断できるほど離れているのだが、ムベヤ産の豆でも「キリマンジャロ」と言って良い不思議。

個人的には、そこまで離れたものをキリマンジャロと言うことに抵抗があるので、私は最低でも北部エリアの豆を使いたいと思っている。

話がそれたが、そんなわけでまだまだ色濃く部族社会時代からの伝統が息づくアフリカ。

そう考えると、紙幣に特定の人間を描いてしまわないというのも大切なことなんですねぇ・・・

アフリカに限らず、パプアニューギニアなんかも、もっと激しい部族間対立があったので、部族社会ということを知っていたのに忘れていたことが、ちょっとショックだった。

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