前回から書き始めたフェアトレード。
前提条件として、単一農園単位で輸出業者と取引ができる大農園は、そもそもフェアトレードの対象外ということを踏まえたうえで、アフリカやアジアにおける零細農園とフェアトレードをする難しさについて書いていきたい。
フェアトレードと言っても、クオリティーに関係なく大農園と同じ買い付け価格で買えばよいというものではない。
それなりの金額を出すのであれば、価格に応じたクオリティーが必要となる。
しかし、農作物は何もせずに品質が良くなるということは考えにくいので、当然品質を上げるためには労力をかけて丁寧に栽培して、完熟のものだけを収穫する必要がある。
日本人であれば、より高い価格をつけるのであれば、それなりに品質を上げる必要があるということは理解しているだろうし、そのために労力をかけて、あるいは設備投資をして、今まで以上に高い品質のものを作らなくてはならない上、今日頑張ったからと言って、明日レスポンスがあるというものでもないことは理解できるだろう。
特に農作物の場合は、年単位での仕事になってくる。
それを承知の上で、先行投資をして品質向上に努め、数年後に良い商品を品質に見合った価格で販売することを目指すわけである。
が、これは日本人だから、あるいは先進国と言われる国々の価値観だから実現可能なものであり、途上国と言われている国の人たちが、同じ価値観を共有していると思ってはいけない。
日本人でも、胆略的な人はいるが、比率としてアフリカの零細農家の人たちは、高いクオリティーを出すための努力をしたら、その年の収穫で労力に見合った報酬が得られなかった場合、その努力をしようと言う気持ちにはならない人が多い。
農作物というものは、今年何かをしたからと言って、いきなり目標のレベルに到達するというわけではなく、毎年毎年の積み重ねで土壌も変わるし、品質も向上する。
頑張ったのに、昨年よりちょっと良い程度の報酬しか得られないとなったら、その翌年もう一度同じ努力を使用という考えを持つ人は少ないと言っても良いであろう。
そんな中、もし単純にフェアトレードと言って、大農家に払うのと同じ金額を出してしまったら、今度は逆に彼らは仕事をしなくなってしまう恐れもある。
「同じことをやっていても、この人たちは高値で買ってくれる」と思ってしまい、余計な努力はしなくなるかもしれない。
それならまだマシな方で、いきなり普段より多くの収入を得てしまったら、働かなくても当面暮らしていけるから、働かなくなってしまい、農地が荒れてしまうということすらあり得る。
もし、本気でフェアトレードをするのであれば、現地の人たちの考え方から変える必要があり、さらに永続的に続けたいのであれば、子供のころからの教育を見直さなくてはならない。
また、良い品質のコーヒーを作るための農業的な知識と技術を持った人が帯同して、きちんとした指導をしなくてはならない。
そして、根気強く現地の人たちと一緒になって、そこで指導したことを【見ていなくても農園の人たちが自主的にやる】ようにしていかなくてはならない。
これには、そうとうな時間と費用がかかるわけで、単純に人道的な考えから、フェアトレードをしようと思っても、時間的にも費用の面でも、なかなかできるわけではない。相当な覚悟と根気が必要なことになる。
そんなことから、私が尊敬している仕入れ業者の方は、まず最も結果が表れやすい「収穫」の部分を収穫期には必ず産地へ赴き農家の人に根気よく指導している。
いかに完熟したものだけを摘み取るかが重要かということをしっかりと覚えこませ、完熟したものだけを収穫していたら、適当に収穫したものより高価になることを分かってもらう。
次のステップとして、日々の管理や土壌のことになっていくわけである。
しかし、それもその年に結果が出なかったら、なかなか前に進まないのが現実問題。
北風と太陽ではないが、完熟したものだけを収穫したら、より良い報酬が得られるということを分かってもらうところもあれば、未熟なものは突っぱね返して受け付けないことで、完熟チェリーだけを持ってこさせるウォッシングステーションもある。

いずれにせよ、「フェアトレード」と言えば聞こえは良いが、コーヒーの栽培の知識を持たず、生産国の人たちのものの考え方もよく理解せず、人道論だけで現地に乗り込んで行って、フェアトレードで仕入れようと思った場合、運が良ければ最初の一回は成功するかもしれないが、それを継続しようと思ったら、ものすごい知識と現地への理解と根気と覚悟が必要なわけである。
そして、それを実現している人たちは、特にフェアトレードと謳わず、「良いコーヒーを出したい」という狂気にも近い信念で、コーヒーを仕入れている一部の人かもしれない。
が、その人たちにとって、現地で品質を上げるよう指導して、良いものを適正価格で買い取り・売ることは自分の仕事と思っているので「フェアトレード」という表現をしないから、「フェアトレードの豆を欲しい」と言われても、そうは言えない可能性もある。
以前「人は、美味しいものを買うのではなく、美味しいと言われているものを買うものだ」という言葉で、ヴェルディの取引が断られたことがある。
それに似たものかもしれない。
次回、それでも難しいフェアトレードの実情について書きたいと思う。