最初にお知らせです。
期間限定コーヒー、ただいま「エチオピア・ベンチマジ・ゲイシャ種」を販売中!

こちらは、極少量のため、恐らく来週末までには売切れるかと思われます。
あまりゲイシャゲイシャしていない、バランスよく飲みやすいコーヒー。
その分、ゲイシャのなかでは価格も穏やか。
よろしければ、お試し下さいませ。
さて、今日は朝から断続的に雪が舞う寒い一日。
こんな日は、お客様の足も冷え込むだろうと思っていたが、常連さんは有難いもので、開店直後からいつも週末にご来店下さるお客様たちが席を埋めてくださり、なんとか形になったモーニング。
午後らかも、予想以上に多くのお客様がご来店下さって、日曜日の期待値には届かなかったものの、こんな天気の日と思えば有難いことであった。
さて、そんな常連のお客様以外の方々が、どうやってヴェルディをお知りになるのか?
そんなことを考えながら、最近ヴェルディのInstagramを更新する作業を下鴨店の鈴木に任せてみた。
彼女は私の個人アカウントも勝手にフォローしているらしく、さらに私の写真がけっこう好きらしく、「ヴェルディのインスタもマスターの撮った写真を載せて行きましょう」と言うことだったので、ここ3~4投稿は、私がそれ用に写真を撮っている。
正直、私はSNSとかが苦手で、スマホ自体も仕事上必要なLINEを見たり、スポーツの結果を見たり、ということ以外ほとんど活用していないので、Instagramのインサイト情報などもよく分からないのだが、鈴木が言うには、このところインタラクションが上がってきているとのことで、「好ましい方向に行っています。」だそうである。
ただ、個人的にはどうもSNSというものが気に食わない。
「私が若かった頃」という言い方、私も若かった頃に年長者に言われて「時代が違うんだ」とおもったこともあるが、あえて言うなら・・・
私が若かった頃は、何か良いお店、美味しいお店をみつけようと思ったら、友人知人のおすすめをきいたり、実際に歩いていて目についたお店に入ってみたり、そうして「ここは当たり!」というところを見つけたら、通い詰めるといった感じだった。
自分で探して食べてみて判断するのだから、他人の評価などは関係なく、自分が良いと思った店が良くて、他人が何と言おうとそれで自分的には満足できていた・
私が週に何回も通っていたインド料理店「ヌーラーニ」やタイカレーの「シャム」なんかも、「ネットで見て」ではなく、通りかかって気になって入った。というのがスタートだった。
しかし、現在お店を誰かに知ってもらおうと思ったら、SNSなどで露出したり、Googleの検索で上位に表示されたり、といったことが必要になってくる。
今日も、Instagramのプロアカウントの設定の仕方を鈴木と一緒に見ていたのだが、どうも私はよく分からなくて、結局やりたい設定ができないまま。
Googleにしても、マップとかそこに表示される店舗情報のようなものをしっかり更新したり最適化しないと、集客できないといったことをよく耳にする。
なんとかやってはいるものの、ネットで調べてそういうことをやりながら、どうも憤りを感じてしまう。
お金を払って広告を打つわけではないのに、Googleが勝手に店をネットにあげて、見ず知らずの人が一回キリ来店しただけなのに、さも知ったかのようにその店の評価をして、その評価が高ければ、それを見て人が来店する。
なんだか、勝手にMetaやgoogleの奴隷にされているように感じる。
そして、そいういったものを使って店を探したり、情報を得るということは、結局はそんなネット業界の巨人たちの思うつぼで、自分で探す能力の欠如や、自分の舌での評価能力の失墜、人の判断に頼らなくてはならない主観を持てない人間に成り下がってしまうように思えて仕方ない。
もっと言えば、Metaやgoogleは、自分たちが提供するプラットフォームを何の疑いもなく、それが世間の正しい評価だと思って使う人を一人でも増やすことにより、人間を「考える葦」から「単なる葦」にしてしまい、自分たちなしでは物事の判断ができない存在に仕立て上げたいと思っているのではないかと感じる。
スマホを使いこなしていると思っているのが、実はスマホとそれにインストールされているアプリ開発会社に「思考・判断・主観」の能力を吸い取られているのではないかと思うので、ともかく、仕方なく使ってはいるが、Instagramとか、Googleのマップに記載される店舗情報とかとは、こと私生活においては距離を置きたいと思っている。
まぁ、必ずしも「昔はよかった」とは思わないが、今の世の中と比べると、人間が人間らしく生きられていたような気がして、少なくとも今よりストレスは少なかったように感じる。
現在ヴェルディで働いている学生アルバイトと話をしていると「それ、昭和の考え方です」と言われることも少なくない。
でも、昭和の人間にとっては、やはり昭和(後期)って時代の活気はあったが、どこか許容範囲の広かった時代が「良い」とは言わないものの「生きやすい」と感じてしまう。
私も間もなく還暦、もう先もそんなに長くないので、少なくとも自分の目の黒いうちは、完全にネットやAIなどに頼り切らなくても生きていける世の中であってほしいなぁ・・・・と、Instagramの設定がうまくいかないストレスを覚えながら思うのであった。











