今日の日記は、何となくつらつらと長くかいてしまったので、時間のない方はこのまま右上の×印をクリックして下さい。
昨夜、グノーのファウストをDVDで観ていたら、何となくバレエの音楽が聴きたくなったので、今夜は白鳥の湖。
チャイコフスキー バレエ白鳥の湖
ランチベリー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
ランチベリーという指揮者、普通に管弦楽曲や交響曲しか聴いていなかったら、ほとんど耳にすることのない指揮者だが、バレエの指揮者としては有名な方。
そして、バレエの指揮者って、ほとんどバレエしか振らないから、一般的な管弦楽曲しか聴かない人には馴染みがなくて当然。
で、白鳥の湖は、全曲盤を6枚ほど持っているが、バレエ音楽ほど見方(聴き方)によって演奏の良し悪しが分かれるジャンルも他にないのではないかと思う。
つまり、バレエ音楽として聴くか、管弦楽曲として聴くか。
バレエ音楽として聴く場合、フランス風なのか、ロシア風なのかによっても、ちょっと違ってくるが、それ以前にバレエ音楽の全曲盤を録音している指揮者の大半は、ピットに入ってバレエの本番を振ったことがない人がほとんどだと思う。
そうなると、何が起こるかと言うと、普通に管弦楽曲として聴いた場合は良くても、バレエ音楽として聴いた場合は、「これじゃ踊れない!」とか、「このシーンは、こんな雰囲気ではない」と思ってしまうわけである。
なので、バレエそのものを観ている人なら、視覚的な記憶があるから、この踊りは、こんな風・・・と思って聴いていると、全くそういう風に踊れないようなテンポで演奏されることも多く、その時点で客観的な管弦楽としての評価ではなく、バレエとしてダメな演奏になってしまう。
さらに、そもそも白鳥の湖は、初演のとき大コケで、チャイコが書いた初稿で再演されることはなかったのだが、振付師のプティパによって、ストーリーや曲順が変わり、多くの曲が割愛され、場合によってはその後にみつかったチャイコフスキー パドゥドゥが挿入されたりして今のバレエ上演の形になった。
ただ、実際にバレエとして振っていない指揮者は、現在のプティパによる実際の上演に即したスコアではなく、現在は全曲演奏がされることのない初稿で録音している場合がほとんど。
私が持っているCDの中で言うと、小澤征爾だとか、サヴァリッシュなんて、バレエを観たことがなく、演奏だけを客観的に聴いたら美しいメロディーに聴こえても、実際に白鳥の湖のバレエを観たことがあったら、拒否感を覚えてしまう演奏になる。
個人の嗜好で言えば、バレエ音楽としてはダメでも、唯一プレヴィン盤は管弦楽曲として好きだったりする。
そういう点で言えば、ゲルギエフ盤がバレエを観る人にとってはベスト盤ではないだろうか。
このランチベリー盤、HMVのレビューを見たら、割愛されている曲がいくつかあって、全集版としては「良識のない商品」とまで書かれているが、ゲルギエフ盤は、そもそも初稿ではなく、その後にプティパによって実際のバレエに即した演出に改変されたスコアを使っているため、このランチベリー盤よりもカットされている曲は多いし、初稿のスコアにない別のバレエ音楽の曲が挿入されているし、順番も違うし、憤慨する人がいてもおかしくないが、バレエで白鳥の湖を観ている人にとっては、恐らく最も感情移入できる演奏だと思う。
と、前置きが超長くなったが、最近コーヒーについても同様のことを感じてしまう。
コーヒーという飲み物、「日用品」としての位置付けか、「嗜好品」としての位置づけか、どういう観点で選ぶかということによって、コーヒーの存在意義は大きく変わってくる。
ヴェルディとしては、20種類以上の豆を並べることにより、嗜好品として多くの方が自分好みのものを選んでいただけるようにしつつ、なるべく日用品としても飲めるよう、価格を抑えるように頑張っている。
しかし、ネットで売られている1キロ1,000円みたいな、超安価な日用品にはできないし、100gで1万円もするような、超嗜好品にもできないところが、もしかしたら中途半端な業態なのかもしれない。
でも、私としては、可能な限り多くの方から「美味しい」と評価してもらえるよう、その豆のポテンシャルを発揮できるような焙煎をすることは、開業以来変わらない一貫した経営方針である。
ただ、このところ嗜好品でも日用品でもない、ファッションアイテムとしてコーヒーを扱っているお店も増えている。
私も〇〇コーヒーと書かれているから、同業種だと思って、話題になっている店に行ってみたものの、酸っぱすぎて一杯飲むことが出来なかったということが少なからず。
でも、店自体は今風でカッコよく、そこで働いている人たちも、現代の若者らしいおしゃれなファッション。
何軒か流行りのお店に行った感想としては、「これはコーヒーを売っているのではなくファッションアイテムだな、と。同じコーヒーと呼ばれる商品を扱っていても、実は別ジャンルの商売だ」と実感した。
同じ「白鳥の湖」でも、バレエ観点で聴くか、管弦楽観点で聴くか、その観点によって同じ曲でも大きく感じ方は変わってくる。
しかし、レビューを見ると、両方の観点で書かれたものが混在しているので、「このCDエエのか、アカンのか、どっちやねん!?」となってしまう。
そんなとき、両方の観点があるということを理解していたら、あぁ、この人は管弦楽としてしか聴いたことがないから、こんな感想なんだ、と思えたり、この人は舞台芸術としてのバレエが好きな人なんだ、と分かったりするから、1つ星と5つ星が混在していても納得できてしまうわけである。
が、世の中そんな両方の観点を知っている人ばかりではない。
コーヒー店のレビューを見ていても、その店をファッションとしてとらえるのか、味を重視した飲食物を売る店としてとらえるのか、その観点によって評価は大きく変わってくる。
そんな中、そもそも昔からコーヒーが好きな、ある程度年を重ねたコーヒー愛好家よりも、今までコーヒーをほとんど飲んだことがないまま、ファッションとしてのコーヒーをコーヒーだと思ってしまっている若い人の方がネットの世界では優勢。
なので、特に昔から今風の営業ではなく、味作りにこだわって、営業をしている店は、下手にネットで自分の店の評価なんかを見てしまうと、ちょっと落ち込んでしまうようなことが書かれていることも少なくない。
けど、そんな昔から営業している店に足繁く通ってくださるお客様はまた、ネットに書き込んだり、それを読んだりしない、または自分自身の好みで動くからネットに何が書かれていても気にしない人が多いのだから、実際に自分が接しているお客様の大半には、どうでも良いことだったりする。
とは言え、やはりネットの書き込みは気になってしまう・・・
ので、私は見ないようにしているのだが、何となくやりにくい世の中になっているなぁ・・・と思う今日この頃。
でした。