2022年10月号掲載
最近、街を歩くと知らない間に新しいコーヒー店ができているような感じがします。
先日ネットニュースでも、コロナの影響で脱サラをしてコーヒー店を作る人が急増中という記事を見ました。
コーヒー店が増えているという是非はともかく、お店を作るとき、店名をどうするかは多分開業希望者の多くが悩むところでしょう。自分の名前を冠する人もいますし、自分の趣味に関わる名前をつける人も多いと思います。
ヴェルディは、私がオペラ好きだったことから、イタリアの大オペラ作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの名前を拝借しました。
そんな中、ここ数年の間にできたお店の名前で「やられた!」というものがありました。
俗にいうサードウェーブの代名詞「ブルーボトルコーヒー」です。
青い瓶の絵が可愛いと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、「ブルーボトル」というコーヒー店、実は今から300年以上前、ウィーンに初めてできたカフェの名前だったのです。
1683年、ヨーロッパ侵略を狙うトルコ軍は、ウィーン陥落を目指して侵攻しました。世に言う「第二次ウィーン包囲」
その年の7月、トルコ陣営の中をトルコ人と偽り、敵陣営の向こう側に位置するポーランド軍へ救援を求めに行く使者として、フランツ・ゲオルグ・コルシツキーという人物が選ばれました。
彼はアラブ世界で長く生活をしていた経験から、イスラムの風習に通じており、無事トルコ軍の陣営を突破しポーランドへたどり着きました。
9月12日、連合軍の総攻撃によりトルコ軍は、牛やラクダ、羊、穀物や金などとともに、豆のようなものが入った布袋を500個も残して敗走しました。
ウィーン市民は、この豆のようなものをラクダの餌か何かと思って焼き払い始めたのですが、その香りをかいだコルシツキーは、トルコ陣営を通過している間にかいだ香り、それを煮出して飲んだことを思い出し、その豆のようなものを下げ渡してもらうことに成功しました。
間もなくコルシツキーは、トルコ軍が飲用していたのを模して、コーヒーを作り、そのコーヒーを提供する「カフェ」をウィーンにオープン。
その名前が「ブルーボトル」だったのです。
1700年に入り、ウィーンは「カフェの都」と言っても良いほどカフェ文化が開花しました。
ドイツ然の騒々しいビアホールと違い、カフェでは生き生きとした会話が交わされ、ヨーロッパにおける新たな文化的な場となったのです。
しかし、まさかそのとき、その世紀の後半に起こるフランスの革命にカフェという文化が大きな寄与をすることになるとは、誰も思っていなかったことでしょう。

写真:ブルーボトルコーヒー創業者ジェームズ氏と


