月曜日の芸大店は、一週間の中でもお客様が少ない傾向にある曜日。
やはり週末開けは、あまり人が動かないのかもしれない。
そんな月曜日の今日も、けっこう穏やかな時間が流れるランチタイムだったが、お昼ごろにご来店下さったお客様から「ブログに書かれていたティピカを飲みたい」というリクエストを頂いた。
昨日書いたのは、パプアニューギニアのことだったので、早速抽出してお持ちしあたら「コーヒーコーヒーしているコーヒーだ」というご感想を頂いた。
これは的を得ているご感想だと、私的には嬉しいお言葉だった。
ティピカ種は、今流行りのゲイシャなどと比べると、ある意味地味だし、ものすごく強いキャラクターを持った豆と言うわけではない。
が、それ故にきちんと焙煎をすれば、本当にコーヒーらしいコーヒー、洗練の極みとも言えるコーヒーを作ることができる品種でもある。
一方で、最も原種に近い存在と言うこともあり、病害虫に対する耐性も乏しく、また生産性も高くはないので、苦労して栽培しても収穫量はそれに見合うほど多くはなく、キャラクターも強くないため、差別化を明確にし辛くCOEなどの入賞も難しい。
ヴェルディオープン当初は、こういった本当にコーヒーらしいコーヒーが好まれていたが、最近のスペシャルティブームの波は、「コーヒーらしさ」よりも「コーヒーらしからぬ」が偏重される傾向にあるため、ティピカを栽培する国や地域、農園が減少傾向にあると言っても過言ではない。
個人的に、パナマのボケテ地区で作られるティピカは、ブルーマウンテンを凌ぐクオリティだと思うのだが、最近はパナマと言えばゲイシャで、良質なパナマのティピカを探すのが難しくなってきている。
そんなティピカも、元をたどると「エチオピア在来種」が根源にある。

まぁ、現在市場で流通しているほとんどの豆は、ティピカまたはブルボンからの枝分かれなので、元をたどればほぼ同じなのだが、そのティピカの一つ上の階層にある「エチオピア在来種」というのが、なかなかの曲者。
世界中のコーヒー品種は、いったい何種類あるのか分からないが、もし、「エチオピア在来種」を遺伝子的に細かく分類したら、恐らくコーヒーの品種は爆発的かつ掌握不可能なほど増えるのではないだろうか。
一説には、世の中の知られる・知られざるを含め、コーヒー全品種の8割はエチオピアにあると言われるほど。そうしてみると、ティピカをコーヒーらしいコーヒーと言ってよいのか、あるいはエチオピアこそコーヒーらしいコーヒーなのか。
さらに、エチオピアでも、シダマ、イルガチェフ、ジマ、ハラー、レケンプティ、カッファ、ジマと全てキャラクターが違ってくる。

いったい何がコーヒーらしさなのだろうか?
実は、昨日の日記を書いたは良いが、そんなことを考えていると、品種のチャートが頭の中をぐるぐる巡りはじめ、なかなか寝付けなくなってしまった。
とは言え、それはエチオピアの良質なコーヒーを仕入れて、私なりの解釈で焙煎をした場合、地域によってキャラクターが違ってくるということで、エチオピア国内での焙煎度合い(めちゃくちゃ深い)と抽出方法(煮出し)で飲んだら、ヴェルディで焙煎するほど味に幅は出ないような気もする。
まぁ、なかなか何が正解とは言えないのだが、ともかく最近のコーヒー業界の傾向としては、少なくとも私が「コーヒーらしいコーヒー」と思っていたコーヒーから、「コーヒーらしくないコーヒー」へと世の中の主流が移り変わりなりつつあるように感じざるを得ない。
それを悲しむべきなのか、地球誕生以来止まることなく続いている世の中の移り変わりの一つであり、そういうものなのだと思うべきなのか。
多分絶対正解の答えは出ないので、「らしさ」をコーヒーに求めるのではなく、「ヴェルディらしいコーヒー」を追求するのが、一番なんだろうな、と思うことにした。











