自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

  1. 下鴨店TOP
  2. カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記
  3. たわごと

たわごと

睡眠時間

2023年1月19日 

今日は比較的人員に余裕があったので、私は午後からデスクワークに集中。

それでも予定していた仕事は終わらず、この日記を書いている午後10時45分現在、まだパソコンの電源を切れずにいる。

そもそも、必要があってインストールしたのだが、illustratorを入れたら多分私の睡眠時間は大幅に減るだろうと思っていたところ、予想通りの展開。

できることが増えるのは嬉しいのだが、できることが増えるということは、やらなくてはならなくなることも増えるということで、それはあまり嬉しくない。

けど、Photoshopにせよ、illustratorにせよ、動画編集ソフトにせよ、とりあえず使い始めたら、けっこうなスピードでマスターするし、接客の合間にちょこまか作っているにしては、けっこうまともなものが作れているってことは、これを本気で習得したら、もしかしたらそのジャンルでプロになれるのでは?と思ったり。

一応、写真も撮れるし。と言いつつ、自分で自分の写真にけっこうダメ出しはしているのだが、そもそも自然光とレフ版だけで撮っているので、機材さえあればもっとマシな写真が撮れるはず。

そのあたりを考えると、ちょっと職業間違えたかも、と思い始めている今日この頃。

そんなわけで、まだまだ終わらない仕事に対する集中力をつなぎとめるために、ちょっと自分で自分にリスペクトしてみた。

とりあえず、現在編集中の月刊紙が終わったら、次は↑コレと次の限定珈琲の通販ページを作らねば。

頑張ろう!

全然違った

2023年1月13日 

今日は金曜日なので、業務用のコーヒー豆配達日。

来週、下鴨本店が遅めの正月休みをとるため、来週の業務用配達がお休みになることもあり、今日は非常に多くのご注文を頂いていた。

で、配達回りをしながら信号待ちでふと前を見たら、四葉のヤサカが止まっていた。

何かいいことあるかなぁ?と思ったが、特に何もなかった。

さて、そんな配達中に車載のSSDに入れている多くの曲の中から何となく流れてきたのはショスタコーヴィッチの交響曲第11番。

指揮はロストロポーヴィッチのものだったが、その2楽章を聴きながら、なんとなく今の私の心情にとてもフィットしている曲のように思えてしまった。

ちょっと私に課されているタスクが多すぎて、けっこう分けわからん状態に陥っているのかもしれない。

でも、この曲の私の愛聴盤は、ロストロではなくビシュコフがベルリンフィルと録音したものだった。

なので、ショスタコの11番って、こんな曲だったかな?と思って改めてビシュコフで聴いてみたら、全く違う曲のような印象を受ける演奏だった。

演奏時間も、第2楽章に限ると、ロストロは21分48秒なのに対して、ビシュコフは18分20秒。

中盤から後半にかけての部分が特に違い、ロストロはlargoと言っても良いスピードなのに対して、ビシュコフはandante。

この重く激しく悲壮な曲も、andanteで演奏したらクールでカッコイイ演奏になるんだということが良く分かった。

そうしてみると、ロストロの振るショスタコ11番の2楽章のような気分のときでも、ちょっと自分のテンポを変えたら、もしかするとネガティブな思考がポジティブに変わるかも?と思えてきた。

明日から、ちょっとテンポを変えて頑張ってみよう。

写真もカレーもコーヒーも

2023年1月8日 

クリスマスあたりから、通販サイトのページ作成や Facebook広告用の画像制作など、ともかく商品撮影をする機会が非常に増えている。

シュトーレンの次は、新春ブレンド、新春初物3種セットといった通販サイトに載せるための撮影に加え、ギフトのブラッシュアップで、フィナンシェとドリップバッグの再撮影、そして今日はヴァレンタイン用のチョコレートケーキの撮影。

中学のときに機械式マニュアルカメラ OM-1を中古で購入してはじめた写真撮影、学生時代は鳥とかスポーツとか、ともかく動きのあるものを撮っていたので、商品撮影は門外漢だった。

しかし、フルマニュアルカメラで、しかもカラーはだいたいポジで撮っていたこともあり、光学機器としての【カメラ】とそれを使った【撮影】というものの基本的な知識は一通り身に着けたつもりである。

なので、こういった商品撮影も、店が少し落ち着いているときに、自然光とレフ版だけでちゃちゃっと撮っているのだが、デジカメを使っていると、ポジフィルムで撮っていたときと比べて一回シャッターを切ることに対する重みが全く違うことに気付く。

コダクロームだと、まずフィルム代が36枚撮りで1200円くらい。

現像料が800円くらいだったので、36枚撮るのに最低でも2,000円、1枚当たり5~60円のコストがかかっていた。

一回シャッターを切ったら、自動的に50~60円!プロならともかく、7~8枚写真を撮ったら牛丼が一杯食べられる金額、そんな環境で撮影していたので、失敗は許されないため、ともかく理論を習得して技術を磨くしかなかった。

でも、今の時代SDカードは高いけど、撮ってパソコンに画像を保存してカードのデータを消せば、何枚撮ってもコストはかからない。

とは言え、一眼レフはやはり高価なので、それを購入して撮るとなったら、それなりのコストはかかる。

しかし、今はスマホの普及率がだいたい100%と言っても過言ではないので、そのスマホについているカメラで一億総カメラマン時代になっていると言えるだろう。

昔は、カメラを持っている人しか撮れなかった写真、しかも撮影しても現像してプリントしないと人には見せられないし、紙で見せるしかないので、拡散力は非常に低かった。

しかし、カメラを持っていなくてもスマホがあれば写真は撮れる。

そうなると、スマホのカメラで撮った写真が世の中に溢れかえってしまう。

が、一目見れば、スマホで撮ったかどうかは別として、どのようなレンズで撮ったのかはすぐに分かる。

スマホの場合、だいたいは広角レンズで撮影されている上、画素数は多くてデジタル処理による画質向上はしていても、レンズそのものの性能は低いので、強いパースペクティブとディストーションが目についてしまう。

が、そんなスマホ写真だけを見ていると、それが普通になってしまうから恐ろしい。

昔、珈琲の師匠である田口護氏に「欠点豆の味を知る必要はないのですか?」と訊いたことがある。

そのとき田口氏は「良い珈琲だけを飲んでいなさい、悪い珈琲は飲む必要がない、でも、良い珈琲だけ飲んでいたら、悪い珈琲に出会えばすぐに分かるものだ。」とおっしゃった。

続けて「悪い珈琲ばかりを飲んでいたら、良い珈琲との区別もつかなくなるから、極力悪い珈琲は飲まない方が良い」と。

それって、珈琲だけのことではないと最近強く感じている。

私の趣味の一つであるカレーも同じ。

最近「スパイスカレー」なるものが世の中に出回っている。

スパイスカレーって、その表現そのものが分けわからないもので、例えるなら「カフェイン入りコーヒー」とか「アルコール入りビール」とか言っているのと同じこと。

コーヒーにカフェインが入っているのは常識で、現代の技術を使ってカフェインを抜いた場合のみ「デカフェ」とか「カフェインレスコーヒー」と呼ぶわけである。

なので、カフェインの入っているコーヒーをあえて「カフェイン入りコーヒー」と呼ぶ人はいない。

同じく「ビール」にはアルコールが入っているのが常識で、アルコールの入っていないビール味の清涼飲料水のみ「ノンアルコールビール」と呼ぶわけである。

同じく、カレーにはスパイスが入っているのは当たり前。

でも、デカフェやノンアルビールと違い、「スパイスレスカレー」というのは聞いたことがないなぁ・・・

で、そのスパイスカレーという不思議な名称の食べ物屋さんに行って食べると、ほぼ8~9割の確率でスパイスの使い過ぎ、セオリー無視の刺激だけの強い味の食べ物を出される。

カレーと言っても、インドのものもあれば、タイのものもあるので一概には言えないが、やはり「カレー」という伝統的な料理を作ろうと思ったら、その料理を作りだした国の歴史や宗教的背景、そして基本の配合というものをしっかり学んだ上で、まずは基本に忠実に、それをしっかりマスターできたら少しずつアレンジしていくと言うことが重要だと思う。

俗に言う「守 破 離」である。

でも、多くのスパイスカレーと呼ばれる不思議な名称の食べ物の多くは、「離 離 離」だなぁ、と感じてしまう。

絵を描くとき、どういう色を出したいか考えて、数種類の絵具を微妙に混ぜて綺麗な色を作り出すのだが、手元にある絵具を片っ端から混ぜていったら、単に黒いだけの色になってしまう。

スパイスも同じことで、何百年と言う歴史の中で、数種類のスパイスを黄金比で混ぜることによって、その食材に適したスパイス配合になるという基本を作り上げてきたはず。

不必要に多くのスパイスを混ぜてしまうと、単に強い(苦い)だけの味になってしまう。

そんな基本をしっかりと習得した人が、きちんと分かったうえで行う自分流のアレンジと、基本のない人が自己流でやたらめったらスパイスを入れて作るものは、ピカソと幼稚園児の描いた絵の違いと言えるかもしれない。

本当に良いものだけを見ていたら、芸術と落書きの違いは分かるが、落書きだけ見て、それを芸術だと思い込んでしまったら、本当の芸術を見ても分からなくなってしまう。

カレーの味も同じだろうなぁ・・・と、思ったり。

と、長々とぼやいてしまったが、単にここ数日カレーを食べていないので、ちょっとカレーを食べたいな、と思っていたら、こんなことを書いてしまった。

禁断症状です。<(_ _)>

新春ブレンド与太話

2023年1月2日 

今日も下鴨で開店から閉店までカウンターに立たせて頂いた。

そうしてカウンターに立っていると、コーヒーをお召し上がりくださるお客様の反応を見る機会も多い。

限定販売の「新春ブレンド」をご注文下さるお客様も多くいらっしゃるが、お召し上がりになった後、豆をお求めくださると、気に入って頂けたのだと分かるし、豆をお求めにならないまでも、一口飲んで一緒においでになっている方に笑顔で何かおっしゃる姿を見たら、きっと気に入って頂けたものだと分かる。

珈琲屋として、自分たちが焙煎した豆を美味しいと思って頂けることが、私たちとしては一番うれしいことで、そのために何をすべきか日々考えて努力しているわけである。

そんな中、今日は閉店間際にカウンターにお座りになったお客様からこんな質問を受けた。

「新春ブレンドはゲイシャを使っているけど、ゲイシャを使ったブレンドは難しいのだろうか?」というもの。

確かに、ゲイシャは高価な豆なので、失敗は許されないし、カッピングスコアが90点近いものも多くある。

そうなると「90点」という数字が独り歩きして、それをブレンドすることで、90点以下の味になってしまうのではないかという危惧もある。

でも、私の個人的感覚では、カッピングジャッジが点数をつけるのは極々浅煎りのカッピング用焙煎。

その数字は単なるポテンシャルにすぎないわけで、カッピングスコアが90点を超えているからと言って、誰がどのよに焙煎しても素晴らしく美味しくなるかと言うと、そうとは限らないわけである。

であれば、高いポテンシャルを持った豆を上手くブレンドすることによって、単一では出せない新たな美味しさを作り上げることもできる。

ただ、ゲイシャという豆は、他にない風味を持っているものの、それは非常に繊細なもの。

その繊細な風味を損なわず、むしろ引き立たせつつ単一では出せない風味を作るためには何が重要なのかと言うと、私の場合はブレンドする豆の風味を楽器に見立ててみたりする。

例えば、ヴァイオリンとチェロの中に、いきなりトロンボーンが入ったら、弦楽器の音を殺してしまう。

では、ヴァイオリンとチェロならヴィオラだとまとまるか、と言われたら、確かにまとまるけど面白さはなかったり。

そこで、ピアノを入れたり、オーボエを入れたり、フルートやクラといった木管を入れてみると、まとまりと面白さを両立できるのではないか、とか。

ただ、楽器の組み合わせと同時に、楽譜がどうなのか、というのも大きな問題。

個人的な感覚だと、ゲイシャはハープのような存在。

そこで、今回はハープにヴァイオリンと木琴という組み合わせにした、つもりだった。

スコアは、やはりモーツァルト。

店名がヴェルディだからと言って、ゲイシャのような豆は重厚なヴェルディではなく、軽快で分かりやすいモーツァルトですね。

そんなわけで、今回の新春ブレンド、私としては主役はハープのゲイシャ、そこに寄りそうヴァイオリンはエチオピアのイルガチェフ、そして、邪魔はしないけど主張はしている木琴はブラジルのフルッタメルカドン(今回のフルッタは、前回ほどキャラが強くなかったので、あえて使ってみた)で、モーツァルトの小曲を演奏していると、思いながら飲んで頂けたら、もっと楽しいかも。

以上、分かるような分からないような、新春ブレンド与太話でした。

このページの先頭へ