自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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verdi マスターの投稿

延長

2021年5月6日 

今日はすっきりと晴れて、少し動くと汗ばむほどの好天だったが、朝は靄というか、雲と言うのか、ともかく視界は悪かった。

大文字山は全く見えず。

北の方の山も靄で見えず。

そんな今日は、どうやら緊急事態宣言が延長されることが決まった様子。

でも、大規模店舗への営業自粛要請を出すか、イベントなどの客数等を緩和どうかは、明日専門家の意見を聞いてからだそうである。

何だかはっきりしないなぁ・・・・

「延長するけど緩和する」というのが、本当に「緊急事態」なのか、蔓延防止と緊急事態の違いはどこなのか、分からないなぁ・・・

今日も芸大店にの食材の納品があったのだが、いつも配達に来るお兄さんではなく、社長が直々に持ってこられたので「社長自ら、恐れ入ります」と言ったら「もう注文が減ってどうしようもないから、彼には3か月休業あつかいで休んでもらうことにした」と。

4月30日の厚生労働省発表によると、雇用維持助成金の特別措置は6月末までと言うことだったが、緊急事態宣言延長に伴い、恐らく7月までは延びるだろうということで、3か月休ませることにしたそうである。

もはや、ヴェルディにとっても対岸の火事ではないわけで、背筋に冷たいものが走る思いで納品に来られた社長を見送った。

そんな今日も夜のウォーキング。

先斗町は真っ暗。

今日は久し振りに、四条より上も木屋町を歩いてみたのだが、午後8時を回っていたこともあり、目に見える範囲のお店は全て閉店しているが、まばらな人通りの中、客引きのお兄さんはたくさん出ていた。

人通りが多いときは、私のようなTシャツで早歩きしている者が声を掛けられることはあまりなかったのだが、今日はほぼ全ての客引きから声をかけられた。

一見どこのお店も閉まっているっぽいけど、ビルの中のキャバクラやラウンジは営業しているらしい。

でも、通行人より客引きの方がはるかに多い状況、私たちも大変だが、彼らも大変なんだろうなぁ、と思いながらのウォーキングであった。

と、なんだか今日は暗い話題に終始してしまったが、早く明るく楽しいことを書けるようになってほしいものです。

運動不足

2021年5月4日 

今日も気持ちよい朝。

連休中は、朝の鴨川も人がけっこう多い。

先日、ちょっとカレーを食べたら、やはりバシッとカレーを食べたくなってしまった。

でも、いつものヌーラーニは緊急事態宣言中7時オーダーストップなので、なかなか行けずにいる。

そんな中、今日は一日お休みを頂こうかと思ったが、山積している仕事も片づけなくてはならないので、今日も朝から下鴨へ行ってデスクワーク。

午後は、少し外へ出て夕方再び下鴨へ。

そんな感じでデスクワーク中心だと、昼間にあまり動かないため、朝夕のウォーキングだけが運動になってしまう。

これは良くない!

ということで、休むことは断念したが、5時半には上がらせてもらい、白梅町まで歩いてみた。

歩いていたら喉が渇いたので、まずはタマリンドジュース。

ヌーラーニセットにしたので、サラダがついてくる。

カレーは、「さくらんぼブナマトン」

ブナ系(汁気が少ない炒め系)カレー、けっこう好きなのだが、ダークチェリーの甘酸っぱさが、スパイスフルなカレーとよく合って、かなり美味しい。

チェリーとカレーの組み合わせもいいなぁ。

こんど作ってみよう。

チャイでご馳走様。

さて、ところで、ヴェルディでは月刊情報紙を作ることにして、昨日からその第一号を配布開始。

ヴェルディ店舗での配布はもちろん、通販も同梱してお送りしているので、お店へおいでの際、またコーヒー通販のお客様もぜひご覧くださいませ。

ちなみに、第一号の一面特集は今月後半に販売開始予定の「イエメニア」。

イエメニアってどんなコーヒーかは、紙面をご覧くださいませ。

つい、ふらっと

2021年5月3日 

GW中、芸大店は臨時休業を取らせて頂いているので、私は事務作業をしに下鴨へ行っているが、下鴨のバックヤードにある事務スペースは一人分しかデスクがないので、事務のスタッフが仕事をしているときは使えない。

なので、今日は午後からでないとデスクが空かない。

そこで、朝は普段より1時間ゆっくり寝てから朝のウォーキング。

さすがに7時になったら太陽も高い。

ところで、このところ朝夕と昼間の寒暖差が大きいが、昼間はけっこうアイスコーヒーのご注文を頂くようになってきた。

そこで、水出しアイスコーヒーバッグを店舗でもコーヒー通販でも100円割引で販売中!

夜寝る前に、ポットに水と水出しアイスコーヒーバッグを入れて冷蔵庫で冷やしておけば、翌朝にはアイスコーヒーができている!

という商品です。

よろしければお試しくださいませ。

さて、先日夜のウォーキングを兼ねて、ヨドバシまで買い物に行ってきた。

帰りに河原町を七条から上がっていこうとしたら、こんな看板が目に入ってしまった。

路地奥にあるカレー屋さん、なんかそそられて入ってしまった。

2種類のカレーのあいがけを注文。

キーマとココナツにしてみた。

とてもマイルドで、食べやすいカレーだと思った。

知らなくてもいい珈琲の話-その16【ド・クリューの功績-後編】

2021年5月2日 

先週に引き続き、ガブリエル・ド・クリューのコーヒー移植について書きます。

1723年にナントの港を出たド・クリューは、一難去ってまた一難という苦難の船旅を無事に乗り切って、マルティニーク島へ無事コーヒーの木を持ち帰ることに成功しました。

島に着くと、彼の自宅にある庭に若木を植えましたが、木を盗まれることを恐れ、常に目の届く場所を選び、さらに木が大きくなるまでは棘の灌木で囲んだうえ、番人まで立てたと言います。

ド・クリューは、「船上で危機を乗り越えるたび、この木に対する愛着が増し、どれほど大切に育てても大切にし足りないと思えるほどだった。」と語っていたそうです。

18世紀のマルティニーク島で、まだ珍しいコーヒーの木を盗もうとする者がいてもおかしくはありませんが、私がブラジルの農園へ行ったときも、農場主たちはド・クリューのような細心の注意をはらって木を育てていたのを思い出します。

COE優勝農園へ行ったとき、ゲイシャを育てているけど見るか?と言われ、ピックアップトラックの荷台に乗って向かったのですが、普通にカツーラやブルボンが奇麗に列をなして植わっている中に、ほんの一部だけ小さく番号札がついた木がありました。

「これがゲイシャ」と言われたものの、これは知っている人でないと絶対に分かりません。

「どうして他の木と全く判別がつかない状態で育てているのか?」と訊いたら、「泥棒が、どの木がゲイシャか分からなくするため」と。

この中の数本だけがゲイシャ。一歩外に出たらどれがどれか全くわからない。

「木の葉を隠すなら森の中」とは、まさにこのことだと思いました。

が、18世紀のマルティニーク島には、まだコーヒーの木が1本しかありません。

なので、逆に目立つものの、盗みにくいよう棘の灌木に番人だったのでしょう。

話は戻り、ド・クリューの木は想像以上に順調に成長し、3年後の1726年には2ポンド(約900g)の種を収穫、その種を大切に育ててくれそうな人に配り、コーヒーの木を増やして行きました。

翌年には、さらに豊作でより多くの種を収穫できたのですが、当時のマルティニーク島における一大産業はカカオの栽培でした。

ところが、1728年に巨大ハリケーンがマルティニーク島を襲い、カカオの木が壊滅状態に陥ってしまいました。

そんなとき、カカオに代わって植えられたのがコーヒーの木で、その後50年ほどの間にマルティニーク島は1,879万本のコーヒーの木が生い茂る、文字通り「コーヒー生産国」となりました。

帰島当時、歩兵隊長だったド・クリューは、最初の収穫があった1726年には歩兵大隊長、1737年にはグァドループ総督、1750年には聖ルイ勲章であるコマンドールを受賞。

1746年フランスへ戻り、ルイ15世に謁見した折、海軍大臣のルイエ・ド・ジュールから「フランスと植民地およびその商業全般に対し、コーヒーの栽培で目覚ましい貢献をした類まれな将校」と紹介されています。

1760年に退役、1774年に88歳で逝去。

その訃報は、新聞でも大きく取り上げられましたが、その後のフランス革命後、聖ルイ勲章受章者であるド・クリューの名は長く忘れられていました。

しかし、1918年マルティニーク島のフォール・ド・フランスにド・クリューに捧げる植物園ができました。

もし、マルティニーク島でコーヒー栽培がおこなわれていなかったとしても、どこかのタイミングで現在の生産国にコーヒーの木は移植されていたことでしょう。

しかし、ド・クリューがいなかったら、確実にコーヒーの歴史に刻まれた年代譜は違うものになっていました。

現在私たちが飲んでいる中米のコーヒー、その第一歩はフランスの歩兵隊長によって踏み出されたもの、ガブリエル・ド・クリューに畏敬の念を持たずにはいられません。

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