自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

  1. 下鴨店TOP
  2. カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記
  3. たわごと

たわごと

一つ訂正

2025年2月12日 

2月4日の日記で、アフリカの紙幣に描かれた絵のことを取り上げましたが、お客様からご指摘を頂きました。

アフリカは部族社会の名残が未だに色濃く残っているため、特定の人を描いてしまうと、その人が属している部族以外の人たちが快く思わないことから、人間ではなく動物を描いているというのが実情。

ただ、1,000シリングのニエレレ元大統領は、タンザニア建国の父と言われる人物なので、部族を超越して尊敬されているため問題ないとか。

と言うわけで、アフリカの多くの国では特定の人物ではなく、動物や風景・建物、人間の場合は特定の人物ではなくその国の象徴的なことをしている人々が描かれているということです。

そう言われると、確かにそうなわけで、私もタンザニアに限らずコーヒーの産地には、良くも悪くも部族社会の歴史が色濃く残っていることは十分理解しているはずだった。

例えば、タンザニアの紙幣を取り上げていたのでタンザニアについて見てみると、もともとタンザニアは、フレンチミッションと俗に言われるように、フランス人の宣教師たちがコーヒー栽培を持ち込んだということになっている。

しかし、それ以前からヴィクトリア湖西岸に位置するブコバ地域では、ハヤ族の人々が自生していたロブスタ種から実を収穫して収益を得ていた。

そんなこともあり、コーヒー栽培を根付かせようとした人々は、当初ブコバのハヤ族に栽培をさせようと試みた。

が、実はハヤ族の人々、細かいことがあまり得意ではなく、コーヒーを栽培していたと思われていたが、実は手を加えなくても、そこそこしっかり育てられるロブスタ種、それも自生していたロブスタ種から収穫していただけなので、繊細なアラビカ種を丁寧に栽培することができなかった。

タンザニア北部、ケニアとの国境近辺には有名なマサイ族も多いが、マサイ族は元々狩猟や遊牧民の部族だったので、果樹栽培はできない。

↑アルーシャ近郊で見かけたマサイ族

そこで目をつけたのが、キリマンジャロ山麓の町「モシ」に多くいる「チャガ族」。

私も、モシを訪れたとき、他の産地と比べてゴミも散乱していないし、産地の田舎としては非常に綺麗な町だという印象を持った。

それは、チャガ族が綺麗好きで細かいことを得意としていたからだった。

その繊細なチャガ族にコーヒー栽培を任せたところ、キリマンジャロ山麓で良質なアラビカ種が栽培されるようになり、タンザニアのコーヒーがキリマンジャロコーヒーと言われることになった。

↑組合に豆を持ち込み計量の順番を待つチャガ族の人たち

その後、コーヒー栽培は広がりを見せ、西部のキゴマや南部のムベヤ、ムビンガといった地域でもコーヒー栽培がさかんになり、今やタンザニアの中でも南部のムベヤ地域の方がキリマンジャロを有する北部エリアよりも多く生産している。

そして、タンザニア産のコーヒーはロブスタの産地ブコバ以外で採れたものは全て「キリマンジャロ」と呼んで良いことになっている。

キリマンジャロ山麓の町「モシ」と南部の「ムベヤ」は、日本縦断できるほど離れているのだが、ムベヤ産の豆でも「キリマンジャロ」と言って良い不思議。

個人的には、そこまで離れたものをキリマンジャロと言うことに抵抗があるので、私は最低でも北部エリアの豆を使いたいと思っている。

話がそれたが、そんなわけでまだまだ色濃く部族社会時代からの伝統が息づくアフリカ。

そう考えると、紙幣に特定の人間を描いてしまわないというのも大切なことなんですねぇ・・・

アフリカに限らず、パプアニューギニアなんかも、もっと激しい部族間対立があったので、部族社会ということを知っていたのに忘れていたことが、ちょっとショックだった。

序列

2025年2月4日 

昨日の日記で、昨年のこの時期はグァテマラへ行っていたと書いたのだが、今年は人の問題などもあり、産地へ行けるかどうか・・・

本当は、3月にメキシコと中米を訪問したいと思っていたが、ちょっと時間的に難しいので、できれば秋にアフリカへ行きたいなぁ・・・

で、産地へ行くと、ホテルや空港などではカードで決済するものの、移動途中に水を買ったり、ちょっと食べ物を購入するとき、ホテルでチップを払うときなどには、現地通貨が必要なため、到着したら1~2万円分程度の両替をしておく。

海外の紙幣を見ると、日本のものとは違ってなかなか面白い。

日本でも、高額紙幣から順に描かれている人物には、ちょっとした序列があるように思うが、海外の紙幣でも、やはり序列はあるのだろう。

描かれている人は、恐らくその時々の元首だったり、歴史上の偉人だと思われるが、誰なのか分からないことも多いが、俗にいう途上国の場合、実在の人物ではなく、何かをしている人が描かれていることも少なくない。

エチオピアのブルはこんな感じ

一番高額な紙幣の表面は農場にいる動物、裏面は何か研究している人。

次が、働いている女性と裏面は農耕機器を使っている風景。

小額紙幣の方も、恐らく農民の方と裏面は動物。

ただ、一般的には人間が多く、今や使えないけどリラは恐らく歴史上の偉人

グァテマラの紙幣も恐らく偉人。

メキシコは、面白いことに縦型の紙幣もある。

写真では分かりにくいが、蝶々とか建物は、ビニールで透けるようになっている。

で、中米はまだ人間が描かれているのだが、アフリカのタンザニアへ行くと、高額紙幣から順に動物の序列になっているような・・・

一番高額な10000シリングは象。

次に高額な5000シリングはサイ

そして、百獣の王と言われるライオンは、サイよりも下の序列で2000シリング。

タンザニアにとって、強い動物と言えば、象⇒サイ⇒ライオンなんだなぁ・・・

カバとかどうなんだろう?と、思いつつ、では次の1000シリングは、シマウマとかインパラとかなのか?

と、思いつつ見てみると・・・

人間でした。

ちなみに、タンザニアとお隣ケニアはこんな感じ。

まずは百獣の王ライオンと、その後ろに象やキリン。

そして、乳幼児診断をする母と子供と医師、パソコン教育を受ける子供、陸上競技の選手、といったところが印刷されており、ケニアで何が注目されているのかよく分かる気がする。

小額紙幣は、羊や牛といった牧場の動物。

貨幣というものは、その国の価値観を具現化したものなので、いろんな国の紙幣に書かれた絵を見るのは面白い。

基本の味

2025年1月22日 

最初に一言お詫びです。

クラッシックをネタにした内容が続いてすみません。

今回も、クラッシックをだしにして書きます。

先日、カウンターでお客様とショスタコーヴィッチの話をしていたときのこと。

小学生だった私が当時購入できたショスタコーヴィッチのLPは、ほとんどがコンドラシン指揮、モスクワフィルハーモニーのものだった。

なので、アナログのレコードはたくさん持っているものの、現在プレーヤーがないから聞けない。

でも、なかなかコンドラシン指揮のCDが手に入らなくて残念。

といったことをお客様に言ったのだが、そしたら翌日、なんとコンドラシン指揮モスクワフィルのショスタコ交響曲全集のCDをそのお客様が持ってきてくださった!!

先日の日記で、子供の私が知っているような曲は、ほとんどカラヤンが録音していたといったことを書いていたが、カラヤンはショスタコーヴィッチの交響曲について言えば、10番しか録音していなかった。

今でこそ、いろいろな指揮者がショスタコーヴィッチを取り上げているが、私が小学生だった頃だから、もうかれこれ45年以上前、ショスタコーヴィッチのレコードを買おうと思っても、選択肢はさして多くなかった。

さっそくお借りしたCDを聞き始めると、「三つ子の魂百まで」ではないが、小学生の時に形成されてしまった「これがショスタコーヴィッチだ!」という演奏の基本がコンドラシンだったので、もう聴いているうちに「コレだ!」と声を上げてしまった。

その後45年以上の歳月で、多くの演奏を聴いたが、やはり私の中の基本と比較してしまうところは否めず、曲によっては他の指揮者のものが良いと思うものもあるが、どうしてもテンポだとか音の強弱のとり方など、久しぶりにコンドラシン指揮のものを聴いて、コンドラシンが私の中で基本になってしまっているということに気付く。

と、前置きがずいぶん長くなってしまったが、これはコーヒーにも言えることのように思う。

常連のお客様とお話していると、他のお店でコーヒーをお召し上がりになったとき、そのコーヒーの感想をヴェルディのコーヒーと比較して語っておられるということが少なくない。

そうしてみると、常連のお客様におけるコーヒーの味はヴェルディが基本になっていて、どうしても他のコーヒーを飲んだらヴェルディのものと比較してしまっておられるのかもしれない。

これは非常に光栄なことであるとともに、最近じわじわと「酸っぱいコーヒーが好き」と言う方も増えてきていることに危機感を抱いてはいる。

コンドラシンの演奏が、客観的に聴いてどうかと言う以前に、私はそれしか知らなかったので、それが基本になってしまった。

同様に、コーヒーの飲み始めが極浅煎りのもので、「スッパイ味がコーヒーの基本」という刷り込みをされてしまった人が増えると、ヴェルディのコーヒーは「酸っぱさがなくてダメ」と評価されてしまいかねない。

ただ、ヴェルディのお客様も、弊店のコーヒーをご愛顧下さる前に、他のコーヒーをお召し上がりになっていたはず。

でも、その後ヴェルディのファンになって下さったということは、まだ逆転の可能性もあるということ。

コンドラシンが基本と言いながら、5番についてはバーンスタインが愛聴盤だし、7番はヤルヴィなんかが面白いと思ったり、11番はビシュコフが凄いと絶賛していたり・・・

どれも、コンドラシンと比較したら、ずいぶん違う演奏だが、それでも素晴らしいと思えるのだから、他のコーヒーを基本とされていても、ヴェルディのコーヒーを評価して下さる方もいらっしゃるかも。

そのためにも、常に高品質なものを作り続けなくてはならない。

ヴェルディのコーヒーにおけるポリシーをブレさせてはいけない。

仕入れから焙煎、抽出にいたるまで、全てしっかりとしなくてはならない。

と、久しぶりにコンドラシンのショスタコーヴィッチを聴きながら思いを深めるのであった。

帝王とSNS

2025年1月17日 

一昨日の日記「クラッシックとコーヒーと」で書こうと思っていた内容が、書いているうちに違う方向へ行ってしまったので、今日は改めて一昨日に書こうと思っていたこと。

私が子供だった頃、レコード店へ行くと作曲家はベートーヴェンであれモーツァルトであれ、要するに作曲家が誰かは問わず、一番たくさん目についた指揮者は「ヘルベルト・フォン・カラヤン」だった。

もちろん、カール・ベームだとかブルーノ・ワルターといった指揮者のレコードも目にはついたが、少なくとも小学生が知っている作曲家のレコード探すと、ほとんどの曲にカラヤン指揮のものがあった。

ヘルベルト・フォン・カラヤン、世界最高のオーケストラの一つであるベルリンフィルの常任指揮者で、フルトヴェングラーが作り上げた名門オケの名声を不動のものにした人物であり、クラッシックの世界におけるレジェンドの一人で、「帝王」と呼ばれるほどの名指揮者である。

が、同時期の指揮者たちと比べて、そこまでずば抜けていたかと言われると、曲によってはバーンスタインの方が良かったり、クライバーの方が圧倒的に凄かったり。

演奏を聴き比べると、カラヤン以前の人たち、トスカニーニやフルトヴェングラー、アーベントロートといったSP時代の名指揮者たちの演奏を超えるものが見当たらないということもある。

が、そんなことを超越してカラヤンは帝王と呼ばれ、存命中はクラッシック界の頂点に君臨し続けていた。

なぜか?

1950年代後半、SPの時代からLPへと移り変わる中、カラヤンは他の人と比べても圧倒的な質量でレコーディングをして行った。

デジタルレコーディングの技術ができるや否や、他の人に先駆けて、既に録音したものも再びデジタルレコーディングで録り直すなど、積極的にレコーディングをして、他の指揮者とは比べ物にならないほど多くの録音を行ったわけである。

この量にモノを言わせ、音楽業界(レコード業界)のシェアを独り占めにするという手法、よくよく考えるとコンビニが近くに同じ店があろうと出店する、同じドラッグストアが徒歩圏に複数軒ある、という戦略と同じことを1950年後半から彼は行っていたように思う。

ただ、いかに帝王カラヤンと言えども、評論家から辛辣なコメントをされた録音もあったし、正直他の指揮者の方が面白い演奏も多々ある。

が、録音の数が多ければ良い評価も良くない評価も含め、ともかく多数の評価が世の中に出回り、多くの人がそれを目にすることになる。

すると、レコードを買おうとしたとき、音楽誌などを見たら、どの曲であれ必ずカラヤンの評価は載っているから、評価のついていないレコードではなく、評論家が何かを語っているレコード、つまり、カラヤンのレコードを選択する可能性が高くなるわけである。

私の場合、例えばシューマンのピアノコンチェルトをリパッティと録音した若きカラヤンの演奏は、この曲のベストと言っても良いと思うし、オペラとしてではなく、ソリスト含む歌手も楽器の一つとみなして聴いた場合の蝶々夫人は、カラヤンでしか成しえない素晴らしい録音だと思う。

が、一つ一つの曲を考えたとき、カラヤン以上に感情移入できる指揮者・オケの演奏は多数あり、結果的に私の持っているCDの中でカラヤンが占める割合は、かなり低いものになっている。

さて、最近のコーヒー業界を見渡すと、SNSなどでめちゃくちゃ有名になっているお店が、必ずしも高品質なコーヒーを出しているかと言うと、正直疑問の余地があるように感じる。

しかし、戦略的に、場合によっては金銭を払って有名インフルエンサーに取り上げさせることで、多くの人の目に留まり、全くの駆け出しであっても瞬く間に多くの人に知られ、有名店になってしまうということが少なくない。

有名インフルエンサーというのも専門家ではなく、フォロワー数が多い人なので、専門的知見に立って物事を評価しているのではないため、目には留まるけど味についての本当のところは保証の限りではない。

でも、多くの人がソレを見て、ソレを購入して、右に倣えでSNSにあげることで、何となくソレが世の中の主流になってしまう。

さらに、最近は雑誌など紙媒体のメディアでさえ、自分で調査して掘り出すのではなく、SNSなどで調べて頻繁に取り上げられている店を有名店として掲載するから、その店の人気に拍車がかかる。

しかし、そういったSNSや雑誌と距離を取って自分の味覚で判断していったとき、本当に美味しいコーヒー店というのは、実はあまりSNS上で有名な店ではないところの方が多いことに気付く。かも。

と、こういった現象を見ていると、昔と違って今はSNSの時代、昔は本当に質で勝負されていたのに今は・・・と嘆きたくなるかもしれない、が、結局カラヤンとグラムフォンがとった戦法は、現代のSNS戦略と何ら変わらない。

レコード店へ行くとカラヤンだらけだから、カラヤンで聞いておけば良い。

SNSにたくさんあげられているから、それを飲んでおけば流行に乗り遅れない。

現代人も、実は1950年代と形を変えて同じことをやっているんだなぁ・・・と思いつつ、今日もカウンターでお客様と「メンゲルベルクはすごかった」とか、「チェリビタッゲはスローなのに、全く緊張感が途切れない」なんて会話をしている私などは、へそ曲がりなのかもしれない。

ただ、カラヤンを出しにしてしまったが、私はカラヤンの演奏を生で2回聴く機会に恵まれた中、やはり生演奏でのカラヤンと言う人の芸術性は至高のものがあったこと、各々の曲に対してオンリーワンやベストワンではないが、全てにおいて深い造詣があったことは否めない。

そうしてみると、カラヤンで聴いておけば間違いないというのは、間違いとは言い切れないことは書いておきたい。

願わくば、現代のSNS社会においても、本当に良いものが、きちんとセレクトされてSNS上を賑わせる世の中であればいいなぁ・・・

無理だろうなぁ・・・

このページの先頭へ