2月4日の日記で、アフリカの紙幣に描かれた絵のことを取り上げましたが、お客様からご指摘を頂きました。
アフリカは部族社会の名残が未だに色濃く残っているため、特定の人を描いてしまうと、その人が属している部族以外の人たちが快く思わないことから、人間ではなく動物を描いているというのが実情。
ただ、1,000シリングのニエレレ元大統領は、タンザニア建国の父と言われる人物なので、部族を超越して尊敬されているため問題ないとか。
と言うわけで、アフリカの多くの国では特定の人物ではなく、動物や風景・建物、人間の場合は特定の人物ではなくその国の象徴的なことをしている人々が描かれているということです。
そう言われると、確かにそうなわけで、私もタンザニアに限らずコーヒーの産地には、良くも悪くも部族社会の歴史が色濃く残っていることは十分理解しているはずだった。
例えば、タンザニアの紙幣を取り上げていたのでタンザニアについて見てみると、もともとタンザニアは、フレンチミッションと俗に言われるように、フランス人の宣教師たちがコーヒー栽培を持ち込んだということになっている。
しかし、それ以前からヴィクトリア湖西岸に位置するブコバ地域では、ハヤ族の人々が自生していたロブスタ種から実を収穫して収益を得ていた。
そんなこともあり、コーヒー栽培を根付かせようとした人々は、当初ブコバのハヤ族に栽培をさせようと試みた。
が、実はハヤ族の人々、細かいことがあまり得意ではなく、コーヒーを栽培していたと思われていたが、実は手を加えなくても、そこそこしっかり育てられるロブスタ種、それも自生していたロブスタ種から収穫していただけなので、繊細なアラビカ種を丁寧に栽培することができなかった。
タンザニア北部、ケニアとの国境近辺には有名なマサイ族も多いが、マサイ族は元々狩猟や遊牧民の部族だったので、果樹栽培はできない。

↑アルーシャ近郊で見かけたマサイ族
そこで目をつけたのが、キリマンジャロ山麓の町「モシ」に多くいる「チャガ族」。
私も、モシを訪れたとき、他の産地と比べてゴミも散乱していないし、産地の田舎としては非常に綺麗な町だという印象を持った。
それは、チャガ族が綺麗好きで細かいことを得意としていたからだった。
その繊細なチャガ族にコーヒー栽培を任せたところ、キリマンジャロ山麓で良質なアラビカ種が栽培されるようになり、タンザニアのコーヒーがキリマンジャロコーヒーと言われることになった。

その後、コーヒー栽培は広がりを見せ、西部のキゴマや南部のムベヤ、ムビンガといった地域でもコーヒー栽培がさかんになり、今やタンザニアの中でも南部のムベヤ地域の方がキリマンジャロを有する北部エリアよりも多く生産している。
そして、タンザニア産のコーヒーはロブスタの産地ブコバ以外で採れたものは全て「キリマンジャロ」と呼んで良いことになっている。
キリマンジャロ山麓の町「モシ」と南部の「ムベヤ」は、日本縦断できるほど離れているのだが、ムベヤ産の豆でも「キリマンジャロ」と言って良い不思議。

個人的には、そこまで離れたものをキリマンジャロと言うことに抵抗があるので、私は最低でも北部エリアの豆を使いたいと思っている。
話がそれたが、そんなわけでまだまだ色濃く部族社会時代からの伝統が息づくアフリカ。
そう考えると、紙幣に特定の人間を描いてしまわないというのも大切なことなんですねぇ・・・
アフリカに限らず、パプアニューギニアなんかも、もっと激しい部族間対立があったので、部族社会ということを知っていたのに忘れていたことが、ちょっとショックだった。