自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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2021年04月

知らなくてもいい珈琲の話-その15【ド・クリュー功績-前編】

2021年4月25日 

前回までは、植物としてのコーヒーがどのように世界に広がったかを書いてきましたが、今回はその中でもとりわけ重要な役割を果たした人物について詳しく紹介します。

現在のスペシャルティコーヒーをけん引するのは、間違いなく中米の生産国。

その中米の祖木となったのは、1616年(「いろいろ」と覚えてください。まぁ、覚えなくてもいいですけど)にオランダ人旅行者がイエメンのアデンからオランダへ持ち帰った木と言えます。

しかし、オランダから直接中米へ渡ったわけではなく、その後約100年の間に栽培によって増えた木の一本が、フランス(パリ)に渡り、その木が実質的な祖木となりました。

その木は、1714年にフランス政府とアムステルダム市が折衝を行った結果、アムステルダム市長からルイ十四世に贈られた、樹高5フィート(約1.52メートル)の若木です。

マルリ城に到着したコーヒーの木は、翌日パリ植物園へ移され、アントワーヌ・ド・ジュシューという植物学者(1686~1758)によって大切に植え替えられて、すくすくと育ち多くの実をつけました。

それから10年ほどの間に、ルイ十四世に寄贈されたコーヒーの木はカリブ海の植民地へ移植しようとされましたが、ともに失敗してしまいます。

そんな中、私用でフランスに帰国していた、マルティニーク島の歩兵隊長で海軍将校だったガブリエル・ド・クリューが自身が住むマルティニーク島へコーヒーの木を移植しようと考えます。

しかし、そのコーヒーの木は厳格に管理されていて、入手困難に思われました。

そこで、彼は知り合いだった王の典医シラク医師の力を借りて、生命力の強そうな苗木を譲り受けることになります。

長い航海に耐えられそうな苗木を選び、出港まではロシュフォールの監督官であったM・ベロンにより厳格に保管されました。

そして、いよいよマルティニーク島へ出航となったのですが、ド・クリューがマルティニーク島にコーヒーの木を持ち込んだ年については2つの説があります。

1つは1720年、そして現在よく知られている説は1723年。

今のように、フランスからカリブの島へ、飛行機で1日飛べば行ける世の中ではなかったので、長い時間をかけてモーターなどなど付いていない帆船で航海しなくてはなりませんでした。

8℃を下回ると枯れてしまう、しかも大量の水を必要とするコーヒーの木を長い航海で移植すると言うことは、今の感覚では考えられないほど大変な作業だったことは想像に難くなりません。

どうやら、ド・クリューは二回航海をして、一回目は枯らしてしまい、二回目で苗木の移送に成功したようです。

M・ベロンによって保管され持ち出された苗木を枯らしてしまったド・クリューは、二度目の航海時、出港直前に種を植えて船上で発芽した苗木を育てつつ移送したという説があります。

ド・クリューが残した航海手記によると水不足が苗木と自分の生命を脅かしたと語っています。

と言うのも、この航海はまさに波乱万丈だったようです。

ド・クリューが乗った商船は、チェニスで海賊に襲われ、やっとの思いで難を逃れると、今度は大嵐に遭い、危うく海の藻屑となりかけ、嵐が去った後は長く続く凪にあって飲み水が底をつき、残りの航海は満足な水の配給がなかったからです。

ド・クリューは手記に「水が不足して、一か月以上の間、配給される僅かな水を私の希望の光ともいえるコーヒーの木と分かち合った。その木はまだ幼く脆弱で、成長も遅れて弱りかけていたため、より手をかけて世話をしなくてはならなかった。」と書いています。

ド・クリューは毎日甲板で苗木を日にあて、曇りの日や寒い日にも苗が死なないよう保温性を考えたガラス箱に入れていたと言います。

そんな中、この苗木を盗もうとする者も現れたようですが、ド・クリューは我が子のように大切に木を守り、海賊という外敵や、嵐と凪という自然の脅威、そして船内に潜む盗人という卑劣な同行者の難を逃れ、なんとかマルティニーク島への移送に成功しました。

つづく

苦しい時ほど上り坂

2021年4月24日 

この時期の私の楽しみは釣りと山菜取り。

アウトドア派の私は休日はほぼ自然の中でリフレッシュ!

今回はヴァイスブレンドをおともに♪

自然の中で飲む珈琲はまた格別です。

野外ではこのドリップバッグがおすすめです!簡単に美味しい珈琲が飲めちゃいます。

山菜そしてコウイカもget!

旬の食材を食べて免疫力アップです!

明日からはしばらく自粛生活になるので、お家での楽しみを考えようと思います。

さて、先週ちらっと告知致しました、ヴェルディ芸大店のNEWスイーツ

カップケーキマフィン!!

4月28日(水)から販売開始予定です♪

そして、今月のスペシャルコーヒー”東ティモール” も販売開始致しました。

今回なんと、「中煎り」と「中深煎り」2種類を同時販売しております。

しっかりとしたボディの中に、それぞれの酸味の違いを楽しんで頂ける東ティモールの珈琲豆。

新スイーツとも相性抜群ですので宜しければ是非お召し上がり下さいませ♪

明日からの緊急事態宣言。

終わりが見えないコロナですが、この状況を堪え忍びながらも乗り越えるしかない。頑張りましょう!!

三回目の

2021年4月23日 

日に日に朝もそこそこ気温が高くなってくる。

基本、暑いのが苦手な私としては、この季節がずっと続いてほしいのだが、そうはいかないですね。

さて、ついに京都も3回目の緊急事態宣言が発令されることになった。

知事は「不要不急の外出は控えるように」と言うわけで、そうなったら昼間のお客様も激減する。

やるもマイナス、やらないもマイナス。なんか、明るい話題ないですかねぇ・・・

と、愚痴っていても仕方ないので、暇な今がチャンス!と、スイーツの新商品を着々と試作中。

来週には、また新商品を投入したいと思っている。

そんなわけで、今日も閉店後は芸大店の社員みんなで新商品の企画会議。

いつもより遅くなったが、夜のウォーキングに出かけたのだが、ちょっと前の桜が満開で、ライトアップされていたときは、けっこうな人出だった木屋町の四条より下の方が、今日はとても散策しやすいほど、人通りが寂しかった。

普段だったら、夜の9時前なんて駐車場は満車のことが多いのに、今日は・・・

この時間は、通常空いている方が少ない場所なのに・・・

苦しいのは、飲食業界だけではない。

みんなで頑張って乗り切っていこう!

バリスタと呼ばないで

2021年4月22日 

今日も晴れて気持ち良い朝だったが、若干黄砂が飛んでいるのか、北の山がかすんでいた。

さて、一昨日の日記でもちょこっと書いたが、カッピング会などへ行くと、特に最近コーヒー店を始めた人を中心に、やたらと横文字でなんでも表現される。

そんな横文字表現中で、私が最も違和感を覚えているものに「バリスタ」という言葉がある。

Wikipediaによると、バリスタについては以下のように書かれている。

バリスタ(伊: barista)は、バールのカウンターに立ち、客からの注文を受けてエスプレッソをはじめとするコーヒーを淹れる職業、およびその職業についている人物をいう。

イタリアのバールには喫茶店やカフェとしての特徴がある。バーのバーテンダーがもっぱら酒類を扱うのに対し、バールで働くバリスタはノン・アルコールの飲料、とりわけコーヒーに関する知識と技術をもつ。欧州スペシャルティーコーヒー協会はバリスタのために3段階のレベルからなる技能認定試験を実施しており、筆記、口頭、実演の各試験に合格するほか実務経験も求められる。

なお、エスプレッソだけでなくパニーニ(パニーノの複数形)やアルコール、更にはサービス全般など、“バールに関する全てに精通している者”という意味で、バリスタではなくバールマンと呼ばれたがるバール店員もいる。

要するに、バリスタとはコーヒーを淹れる人のことなわけだが、たしかに日本語の中には、そういう職業だけを指す呼び名がないなぁ、ということに気付いた。

ヴェルディのお客様やスタッフたちから私は「マスター」と呼ばれている。

マスターは当然コーヒーの抽出もするが、それだけではなく自家焙煎店にとって一番大切な仕事である焙煎もするし(自家焙煎でなければ、この部分はないけど)フード全般のレシピも考えるし、仕入れる豆のチョイスやサービス全般も仕事としている。

だが、依頼されて抽出講習などの講師として登壇したとき、司会者から「続木バリスタです」と紹介されて、「え?」と思うこともしばしば。

また、雑誌の取材を受けたときなども、抽出している写真のキャプションに「オーナーの続木バリスタ」と書かれたこともあり、さすがにそれはすぐに「マスターの続木さん」に修正してもらった。

だが、そうしてみると、私をバリスタと紹介する人は、バリスタが敬称だと勘違いしているのかもしれない。

しかし、バリスタは敬称と言うより本来は職業を指す言葉。

日本における食に関する職業の呼称で言えば「給仕」とか「調理師」と同義になる。

もちろん、一つのお店や会社などで、専門の仕事を深く追求して、豊富な知識と確かな技術を得ている人に対しては深い敬意を持つし、それは非常に尊いことだと思う。

しかし、私を「バリスタ」と紹介されたら、「私は抽出の専門家ではないんだけどなぁ」と思ってしまうわけです。

そうしてみると、カッピング会というのは、基本的に焙煎する豆を選ぶための会なので、そこに出席すべきは「バリスタ」ではなく「焙煎士」か店の仕入れ担当者であるはず。

そんな会で「バリスタ」という言葉が出てくること自体不思議だったりするのだが、どうなんだかなぁ・・・

と、最近思っていることを書いてしまいました。

おしまい。

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