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カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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知らなくてもいい珈琲の話-その5【珈琲初めて物語】

2021年2月9日 

今朝は湿度が高いのか、空気がちょっと重く感じた。

さて、本当は日曜日に連載している「知らなくてもいい珈琲の話」ですが、昨夜は書く元気がなかったので、今日に持ち越したものの、エチオピアのことを書くにはちょっと時間的余裕がないため、今夜は番外編としてエチオピアから離れて「珈琲初めて物語」と題して、珈琲のちょっとした小ネタを書かせて頂きます。

今、普通にあるものも、その昔に誰かが発見したり、始めたりしなかったら、今もないものかもしれません。

そんな珈琲の初めてをいくつかご紹介しましょう。

珈琲を発見したのは、山羊飼いカルディ少年と言われていますが、発見当時は恐らく「葉や実を単に噛んでいた」のではないかと考えられています。

そのうち「実や葉を熱湯に浸してお茶代わりに飲む」、さらに「実を(種を含む)挽いて、獣肉の脂と混ぜて食べる」「発酵させた実からワインを作る」「軽く煎った果皮からキシル(現在はキシェールと呼ばれる)という甘い飲み物を作る」と言う風に発展していき、16世紀になって、やっと種子を煎って、それを湯に浸して飲むという現代の飲み方に近い方法がとられるようになり、それが今に伝わるエチオピアのコーヒーセレモニーに発展したと言われています。

世界最古のカフェと言われる「カフェ(カヴェー)カーネス」がトルコのコンスタンティノープルにオープンしたのは1554年なので、世の中のカフェは、コーヒーの飲食方法の最終系(現代と同様)になってから開業されたということになります。

カフェ カーネスの誕生後、トルコを中心にイスラム社会では次々とカフェがオープンしていき、コーヒー人気は高まる一方でしたが、反面「社会を乱す刺激剤」とも言われるようになりました。

基本的にお酒を禁じているイスラム社会において、コーヒーがお酒の代役を引き受けた形になり、近代社会でもしばしば見受けられる、酒場が悪の温床になるごとく、16世紀のコーヒーハウスは、集まった客がギャンブルや不純異性交遊にふけるようになったとも言われています。

そして、同時進行で16世紀はコーヒーに対する迫害も起き始めた世紀なのです。

実は、コーヒーという食材(飲料)の歴史は、コーヒーに対する迫害の歴史でもあると言えます。

そんなコーヒーについて最初の迫害は、メッカの地方長官であるハイール・ベイによって出された布告と言えるでしょう。

メッカの長官、ハイール・ベイはコーヒーハウスを中心に自分に対する風刺が出回っていると言うことを知り、宗教家や法律家、さらには医学者たちを説き伏せて、「コーヒーも酒と同じくコーランで禁止させるべし」という布告を出したのです。

その結果、メッカのコーヒーハウスは強制的に閉鎖されました。

しかし、コーヒーは幾度となく権力によって禁止令が出されるものの、廃れることなく復活を遂げていきます。

ハイール・ベイの布告を解いたのは、市民の力ではなくコーヒー好きだったカイロのサルタンが布告を取り消し、あっという間に復権を果たしました。

しかし、16世紀におけるコーヒーに対する迫害は、それで終わったわけではありませんでした。

イスラム社会で愛飲されていたコーヒーは、ヨーロッパ全体へも広がります。

すると、キリスト教の高僧たちは、異教徒の飲物であったコーヒーを禁止すべきと時のローマ教皇クレメンス8世(第231代教皇・1592年1月30日~1605年3月3日の間在位)に進言。

教皇にコーヒーを飲ませて、この悪魔のような黒い液体を禁止してほしいと申し出たところ、クレメンス8世は「悪魔の飲物にしてはたいそう美味、これを異教徒に独占させておくのはいかにも惜しい、いっそこの飲物に洗礼を施し、キリスト教徒の飲物にしてやろう」と言い、コーヒーに洗礼を施したとされています。

こうしてみると、イスラム社会でも、キリスト教社会でも、ある程度の高い地位にいる人たちがコーヒーを排除しようと働きかけたものの、トップダウンで却下されてしまったという不思議な共通点が見受けられます。

その後もコーヒーについては、色々な人のいろいろな欲望と批判、迫害と復権が繰り返されてきましたが、また機会があればちょこちょこ書いていきたいと思います。

そんなわけで、次回はきちんとエチオピアについて書きたいと思います。

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