自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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verdi マスターの投稿

親子丼

2021年8月20日 

今日は久し振りに朝夕ともに歩けた。

気が付けば、日の出が少し遅くなり始めているような・・・

朝は日の光を受けながら歩いたので、今日は久し振りに晴れるかな?と思っていたらお昼過ぎから激しい雨。

でも、夕方には雨も止んで、東の空を見ると夕日の赤みをバックに虹が出ていた。

振り返って西の空を見ると、なかなかダイナミックな夕焼け

でも、朝と夕方のこういった空の色って、本当に一瞬で終わってしまう。

まぁ、それがいいんでしょうね。

さて、夜のウォーキングから戻って、カミさんが作ってくれた親子丼を食べながら、高校生の末娘が言うに「親子丼って、名前つけた人、残酷やわ」

カミさんが「なんで?」すると娘は「だって、親子やでぇー、残酷すぎるわ」

「小さいころ、なんで親子丼なんやろうって思ってたけど、理由を知ったときショックやったわ」と。

子供の感性ってすごいなぁ、と思った。

長い

2021年8月19日 

それにしても雨が続く。

が、今朝の5時半は雨が降っていなかったので鴨川へ。

出町柳の橋を渡りながら、ふと西の空を見たら虹がかかっていた。

さて、先日「マスターの日記は文章が長い」と社員二人に指摘された。

自分では普通だと思っていたのだが、「ネットに投稿する=Instagram」というのが一般的になってきた昨今、私の日記のテキスト数は多いのかもしれない。

でも、考えてみたら私がサイトに日記を書き始めたのは今から18年前。

当時は、まだデジカメもそんなに普及しておらず、コンパクトデジカメでさえ10万円以上していた時代。

さらに携帯電話で写真は撮れたが、お世辞にも画質が良いとは言えず、スマホというものもまだ普及前だったので、写真を投稿しようと思ったら、フィルムカメラで撮って、現像に出して、スキャナでパソコンに取り込む必要があった。

記録媒体も、まだSDカードやフラッシュメモリは普及していなかったし・・・

そんなわけで、私が日記を書き始めた当初は、まだ写真を投稿することは難しく、文章だけで全てを表現しなくてはならなかったので、必然的にテキスト量は増えていた。

現在、サイト構成の関係で、10年以上前の日記は読めない状態になっているが、開業当初の日記には全く写真が入っていなかったわけで、ヴェルディ開店から今に至る期間だけでもジェネレーションギャップを感じるのであった。

そんなわけで、私の日記はスマホ世代の人と比べると長くなりますが、お付き合い願えれば幸いです。

食べたかったので

2021年8月17日 

今朝は涼しかった。

そして、川の色がツートーンになっていた。

さて、蔓延防止措置がとられているため(20日からは緊急事態)京都の善良な飲食店は午後8時に閉店してしまう。

そうなると、閉店作業を終えてからでは食事に行ってもラストオーダーに間に合わない。

本当は、カレーを食べに行きたいのだが、ここ数か月は時間的に行けない日々。

それなら自分で作ろう!

ということで、先日はカレーではなくシーフードプラオを作ってみた。

そして、今日はプラオではなくカレーが食べたかったので、ピスタチオのカレーを作ることにしたのだが、先日作ったプラオが少し残っていたので、それにかけてみた。

白身魚とピスタチオのカレー。

まぁまぁイケた。

食べたければ自分で作ればよい、と言えばよいのだが、やはりたまには食べに行きたいなぁ・・・

早くコロナ、終息してもらいたいものです。

送り火

2021年8月16日 

このところ雨続きだったので、久しぶりのウォーキング。

昨日の夜に見た時は、かなり水嵩があったものの、今朝は思ったよりは引いていた。

でも、出町柳のカメさんは頭を少し出して水没中。

さて、今日は五山送り火。

たまに京都以外の人が「大文字焼き」と言う人はいるが、京都市民なら誰もが「焼き」ではなく「送り火」と言うはず。

そんな送り火だが、先日秋田へ行った折、秋田県の大舘市で「大文字焼き」が行われた、と、地元新聞に書かれていた。

調べてみると、大館市大文字祭りは、昭和43年から年中行事になったようで、現在は祭りのハイライトの一つになっており、こちらは「大文字焼き」と表現しているから、もしかすると東北の方は京都で行われているのも「大文字焼き」だと勘違いされているかもしれない。

京都の送り火は、起源が平安時代とも江戸時代とも言われているが、ともかくお盆に戻って来られていたご先祖様の霊をあちら側へお送りするという思想が元になっているので、やはり「送り火」と表現しなくてはならない。

そんな送り火、今年は火を灯す数を制限しているということで、少々寂しい気はするが、毎年自宅マンションから東の空に浮き上がる大の字を見て、少しご先祖様に思いをはせたりする。

今年の送り火は人出抑制のため、ちょっと寂しいものだったが、来年こそは、しっかりとした火の導きでご先祖さまにお帰り願いたいものである。

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