自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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verdi マスターの投稿

三回目の

2021年4月23日 

日に日に朝もそこそこ気温が高くなってくる。

基本、暑いのが苦手な私としては、この季節がずっと続いてほしいのだが、そうはいかないですね。

さて、ついに京都も3回目の緊急事態宣言が発令されることになった。

知事は「不要不急の外出は控えるように」と言うわけで、そうなったら昼間のお客様も激減する。

やるもマイナス、やらないもマイナス。なんか、明るい話題ないですかねぇ・・・

と、愚痴っていても仕方ないので、暇な今がチャンス!と、スイーツの新商品を着々と試作中。

来週には、また新商品を投入したいと思っている。

そんなわけで、今日も閉店後は芸大店の社員みんなで新商品の企画会議。

いつもより遅くなったが、夜のウォーキングに出かけたのだが、ちょっと前の桜が満開で、ライトアップされていたときは、けっこうな人出だった木屋町の四条より下の方が、今日はとても散策しやすいほど、人通りが寂しかった。

普段だったら、夜の9時前なんて駐車場は満車のことが多いのに、今日は・・・

この時間は、通常空いている方が少ない場所なのに・・・

苦しいのは、飲食業界だけではない。

みんなで頑張って乗り切っていこう!

バリスタと呼ばないで

2021年4月22日 

今日も晴れて気持ち良い朝だったが、若干黄砂が飛んでいるのか、北の山がかすんでいた。

さて、一昨日の日記でもちょこっと書いたが、カッピング会などへ行くと、特に最近コーヒー店を始めた人を中心に、やたらと横文字でなんでも表現される。

そんな横文字表現中で、私が最も違和感を覚えているものに「バリスタ」という言葉がある。

Wikipediaによると、バリスタについては以下のように書かれている。

バリスタ(伊: barista)は、バールのカウンターに立ち、客からの注文を受けてエスプレッソをはじめとするコーヒーを淹れる職業、およびその職業についている人物をいう。

イタリアのバールには喫茶店やカフェとしての特徴がある。バーのバーテンダーがもっぱら酒類を扱うのに対し、バールで働くバリスタはノン・アルコールの飲料、とりわけコーヒーに関する知識と技術をもつ。欧州スペシャルティーコーヒー協会はバリスタのために3段階のレベルからなる技能認定試験を実施しており、筆記、口頭、実演の各試験に合格するほか実務経験も求められる。

なお、エスプレッソだけでなくパニーニ(パニーノの複数形)やアルコール、更にはサービス全般など、“バールに関する全てに精通している者”という意味で、バリスタではなくバールマンと呼ばれたがるバール店員もいる。

要するに、バリスタとはコーヒーを淹れる人のことなわけだが、たしかに日本語の中には、そういう職業だけを指す呼び名がないなぁ、ということに気付いた。

ヴェルディのお客様やスタッフたちから私は「マスター」と呼ばれている。

マスターは当然コーヒーの抽出もするが、それだけではなく自家焙煎店にとって一番大切な仕事である焙煎もするし(自家焙煎でなければ、この部分はないけど)フード全般のレシピも考えるし、仕入れる豆のチョイスやサービス全般も仕事としている。

だが、依頼されて抽出講習などの講師として登壇したとき、司会者から「続木バリスタです」と紹介されて、「え?」と思うこともしばしば。

また、雑誌の取材を受けたときなども、抽出している写真のキャプションに「オーナーの続木バリスタ」と書かれたこともあり、さすがにそれはすぐに「マスターの続木さん」に修正してもらった。

だが、そうしてみると、私をバリスタと紹介する人は、バリスタが敬称だと勘違いしているのかもしれない。

しかし、バリスタは敬称と言うより本来は職業を指す言葉。

日本における食に関する職業の呼称で言えば「給仕」とか「調理師」と同義になる。

もちろん、一つのお店や会社などで、専門の仕事を深く追求して、豊富な知識と確かな技術を得ている人に対しては深い敬意を持つし、それは非常に尊いことだと思う。

しかし、私を「バリスタ」と紹介されたら、「私は抽出の専門家ではないんだけどなぁ」と思ってしまうわけです。

そうしてみると、カッピング会というのは、基本的に焙煎する豆を選ぶための会なので、そこに出席すべきは「バリスタ」ではなく「焙煎士」か店の仕入れ担当者であるはず。

そんな会で「バリスタ」という言葉が出てくること自体不思議だったりするのだが、どうなんだかなぁ・・・

と、最近思っていることを書いてしまいました。

おしまい。

カッピング会

2021年4月20日 

今日はスカッと晴れてはいたものの、ちょっと黄砂が飛んでいましたねぇ

さて、今日は午前中に病院へ、先日受けた手術の術後検査に行って、午後からは商社主催のカッピング会。

大阪のカリタショールームで行われたので、芸大店の太田を誘って行ってみた。

カリタのショールーム、いろいろと器具が見られて面白かった。

カッピングの方は、メインがブラジルの某大規模農園のもので、その農園ものだけで10アイテム。

私も以前その農園のものは2回ほど使ったことがあったが、18年間で2回だけということは、まぁ、そういうことだということで・・・

その他の生産国のものも同程度あり、グァテマラを1品使ってみようかと思った。

後半は、そのブラジル大規模農園ものの豆を使っているというスイスでブリューワーズカップのチャンピオンになった日本女性がZOOMで登場。

一部、店の営業で参考になる話もあったので、ちょっと応用してお客様への説明に使わせてもらえるかも。

ラストオーダーぎりぎりに駆け込んだお店で夕食をとりながら太田と話していたのだが、どうも私は古い人間だからか、こういう会で使われる言葉に慣れない。

店舗での接客で、私たちはお客様がご家庭で珈琲を抽出されることについて、「ご家庭で珈琲をお淹れになる際は・・・」と言うのだが、こういう会に出てみると、若いコーヒー店主は「お客様がホームブリューされる・・・」と言うわけです。

ヴェルディの店頭で「豆を挽いてください」と言われたとき、私たちは「抽出方法によって挽き目を変えていますが、お客様はどんな器具を使ってコーヒーをお淹れになりますか?」と訊くわけだが、もしここで「お客様は、どんな器具でホームブリューされますか?」と訊いたら、大半の方は「はぁ?」と言われるのではないかと思う。

それに限らず、なんかよく訳の分からない英語を羅列してコーヒーについて語る必要性を私は感じないのだが、どうなんでしょうねぇ・・・

と、なんか違和感を覚えつつではあったが、コロナが流行りだしてから、なかなかカッピング会も開催されず、正式な入港前にサンプルのカッピングをする機会が減っているが、可能な限りきちんと味を確認して仕入れをしたいと思いつつ、でも他府県に出かけることはちょっと躊躇ったり。

ともかく、気を付けつつ、でもきちんと良いものをお客様にお売りできるよう頑張っていこう。

初登場

2021年4月19日 

今日は久し振りにすっきりと晴れて気持ちの良い朝だった。

昨日は、北の山があまり見えないレベルで黄砂が飛んでいたため、歩きながらあまり呼吸をしたくないという感じだったので、気分よく歩けた。

さて、先月は「ダークラム」や「イルバボールフォレスト」と個性が強い豆を続けて販売したが、その後はひっそりと「ころころブレンド」という個性がないのが個性とでもいおうか、ともかく飲みやすさは抜群のブレンドを販売しているが、明後日からはそこに「東ティモール」産の豆がヴェルディ初登場。

中煎りと中深煎りに煎り分けて2種類同時販売することにしてみた。

この東ティモール、存外に豆が硬くて、中深煎りでも比較的酸味が感じられ、ある意味苦みと酸味と香りのバランスが良好。

一方で中煎りはもっと酸味が強くなるかと思ったが、逆に柔らかい酸味になるから面白い。

これ、深煎りでも美味しそうだなぁ、と思うので、来週あたり深煎りもラインナップしてみようかと思う。

意外にも私は東ティモールを初めて焙煎したが、抜きんでた個性はないものの、けっこうユーティリティープレーヤーだと感じる。

明日は下鴨、芸大両店ともお休みを頂いておりますが、明後日からは両店舗でお召し上がりいただけます。

よろしければお試しくださいませ。

知らなくてもいい珈琲の話-その14【珈琲年代譜 Part-3】

2021年4月18日 

珈琲年代譜、今回は19世紀~20世紀にかけて珈琲栽培の広がりについて書いて行きます。

しかし、概ね18世紀中に主要な産地では珈琲栽培が根付いてきたので、19~20世紀はその後の浸透というレベルになってしまうため、ボリューム的に物足りないかもしれません。

そこで、先に「コーヒーのパンデミック」について書きたいと思います。

18世紀の間に、トルコを中心としたムスリム社会やヨーロッパでコーヒーは度重なる迫害を受けながらも、その地位を築いて行きました。

しかし、世界的な生産量が飛躍的に伸びたのは19世紀以降、アメリカがコーヒーの一大消費国となったことによります。

1773年のボストン茶会事件以降、アメリカでは紅茶ではなくコーヒーを飲むことが愛国心の表れだとまで言われ、コーヒーが愛飲されるようにはなっていましたが、アメリカでの飲まれ方(焙煎と抽出)は、当時のヨーロッパから見ても一風変わったものでした。。

まず、焙煎について、ヨーロッパでは大小さまざまな焙煎器が発明され、また抽出器具の発明も盛んで、1710年にフランス人が「ドリップ」によるコーヒー抽出方法を考案した後は、いかに美味しくコーヒーを淹れるかということがヨーロッパの人々にとって重要な課題となって行きました。

一方でアメリカはどうかと言うと、地元の雑貨店で生のコーヒー豆を購入して、自宅でフライパンと薪ストーブを使い焙煎、その後、臼かすりこ木のようなもので挽いて、湯に入れて煮だして飲んでいたようです。

当然焙煎した豆は煎りムラがひどく、煮だし抽出では、ほとんどパウダー状に挽かれた粉が沈殿するまで待つか、添加物で粉を抑えるかして飲まれていました。

その添加物とはどのようなものか、19世紀のアメリカで実際によく読まれていた料理本には、コーヒーの調理方法として以下のような記述があります。

コーヒーの作り方は、水1パイント(473cc)に大さじ二杯のコーヒー粉を入れ、それを卵の白身と黄身、殻と混ぜて熱い湯を注ぎ、10分弱煮だてること。

卵をいれることによって、粉を固めて飲みやすくしていたようですが、卵がないときは、タラ(魚)を使った人もいたとのことです。

それでどうなったのか、一度飲んでみたいような、飲みたくないような・・・

ただ、1837年に出版されたアメリカの料理本にはこのようにも書かれています。

おいしいコーヒーを淹れるには、淹れる直前に豆を煎らなければならない。

とりあえず、煎りたてで飲まれていたようです。

そのころ、ヨーロッパでは、コーヒー沸かしの特許や抽出の工夫が花盛りで、フランスでは革命前夜にまでパリの大司教ジャン・バプテスト・ド・ベロワが後のドリッパーの原型ともいえる「二層式ドリップ式コーヒー用ポット」を開発していたほどでした。

そんな中、1833年にニューヨークのジェイムズ・ワイルドと言う人が、アメリカで最初に業務用焙煎器をイギリスから輸入しました。

その後、1840年ごろには都市部で焙煎を業務とする人たちが現れ、大型焙煎器関係の特許が相次いだようです。

当時、最も知られた焙煎器は1846年にボストンでジェイムズ W カーターによって発明された「カーター・プルアウト」でしたが、それは穴の開いた巨大な円筒形の容器がレンガでできたかまどのなかで回転するというものでした。

焙煎が終わると煙が充満したバカでかい円筒形の容器を水平に引き出して、豆を木製の巨大なトレーに空け、シャベルで攪拌して冷ますというもので、大変な労力だったことは想像に難くありません。

そんな中、1864年にジェイベズ・バーンズによって、自動的に中身が取り出せる焙煎器が発明されました。

2つのスクリューによって円筒形容器が回転し、中の豆が上下に攪拌され、扉を開けるとスクリューによって自動的に冷却トレーの上に豆が排出されるという仕組みで、現代における焙煎機の原型と言えるものでした。

その後15年でこの焙煎器は数百台売れて、極めてスピーディーに大量生産への道を歩むことになります。

コーヒーの焙煎が、近代化するのと時を同じくして、アメリカの産業面における発明が時代を大きく変えていきました。

まず、電信機、鉄道、蒸気船などが流通と通信に大変革をもたらします。

石版印刷の発達が、新聞や雑誌などを通した大規模な宣伝活動を可能にしました。

その結果、大実業家が市場の独占を企てて、ブラジルで大量生産をするようになります。

しかし、大量生産 ⇒ 価格の暴落 ⇒ 生産抑制 or 病害虫被害 ⇒ 価格の暴騰 ⇒ 大量生産というループを繰り返します。

そして、20世紀に入り1920年~1930年頃にスタンダード・ブランズやゼネラルフーズ等が、コーヒーの銘柄を買収。

ラジオを通した宣伝によって、全米規模でのスタンダード化が始まります。

それに伴って、淹れ方も猛スピードで近代化し、大手による市場の寡占が価格の安定(とは言い切れないものの、暴落と暴騰の無限ループは緩和)につながり、コーヒーというものの「味」についてもスタンダード化が進みました。

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と、ちゃらっと流すつもりが、けっこう長くなってしまいましたが、本日の本題、19世紀~20世紀における珈琲栽培の広がりです。

…………………………………

珈琲年代譜 19~20世紀にかけて珈琲栽培の広がり

1825年

ブラジルで栽培されていたコーヒーがハワイへ。

1900年~

アフリカ:中央アフリカ(コンゴ)原産のカネフォラ種(ロブスタ)がアフリカ各国で生産されるようになる。

アジア:東インド諸島とインドでカネフォラの栽培が始まる。

1908年~

日本から中南米への移民が始まる。

世界大戦までの間に

ブラジル:189,000人

ペルー:33,100人

メキシコ:14,500人

他と合わせ24万人が渡航、特にブラジルへ移住した人たちの多くは不毛の土地を与えられ、そこで苦労を重ね荒れた土地を整備して、コーヒー農園を開いた人も多かった。

ただ、その後の戦争で敵国民として農地の没収や強制収容、それらを逃れるために日本へ帰国した人なども少なくないが、今でもブラジルの農園には日本人名のついたところも多く、戦争後に復興して農場経営を再開した人も多い。

ちなみに、ヴェルディが使っている「セーラネグラ農園」の農場主 オルランド中尾氏は日経3世で、祖父に当たる中尾増吉氏が30年にわたる苦労の末作り上げた農園を(戦争でいっとき廃れるが)今も守り高品質な豆を作り続けています。

1950年

パプア・ニューギニアでコーヒーの栽培が始まる。

イタリアの宣教師が農業と布教活動を合わせてニューギニアの山間部で指導。

今も、その名残のコーヒー農園を持つ修道院や教会に附属する学校などが少なくない。

1950年~1070年

コートジボワール、アンゴラ、ウガンダでロブスタの栽培が始まる。

1990年

ベトナムがロブスタの一大産地となり、それまでアジアで最大シェアを誇ったインドネシアを抜く。

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このように、19~20世紀は、アラビカ種で高品質なコーヒーの栽培が難しい国々でロブスタ種の栽培が盛んになってきました。

ちなみに、アジアでロブスタと言えばジャワ島で作られる「ジャワロブスタ」が有名で、ジャワ島のコーヒー栽培はロブスタ種がスタートだったと思われている方も少なくないかもしれません。

しかし、ジャワ島に最初に入ってきたコーヒーは、ババ ブーダンが持ち出したエチオピアを祖に持つ種子で、見た目にもティピカやブルボンより細長く、今でもエチオピア在来種の形状に似ています。

しかし、ジャワ島の季候などの問題もあり、非常に生産性が低く、育てにくいこともあり、現在ではジャワ島の純粋なジャワ品種は極めて希少な存在になってしまいました。

話は元に戻り、19~20世紀はロブスタが台頭した時代ともいえます。

同時に、それはコーヒーが一大産業として世界に君臨するための一つの要因となったと言っても過言ではないでしょう。

つづく

リニューアルに向けて

2021年4月16日 

今朝はどんよりとした空

ここ数日の中では、比較的暖かかった。

さて、ヴェルディではネット通販を始めて17年半になる。

ホームページは自分で作って、ネット通販においては、そのあたりに詳しい友人の助けを借りて、お問い合わせフォームを改造して作られた、ものすごく簡素なものからスタートした。

支払い方法も郵便振替、しかも後払いのみという常識で考えたらあり得ない方法だった。

(今は、クレジットカード決済のお客様が多数派になっています)

が、有難いことにヴェルディのお客様は、後払いでもきちんとお支払いくださって、この17年でご入金いただけなかったという事例は片手で数えられるほど。

これまで通販で頂いた注文数は2万件以上、この話をネット通販をしている人にしたら、全員が「それは奇跡としか言いようがない」と目を丸くする。

そういう意味で、ヴェルディはリアル店舗のお客様も、ネット上のお客様も、本当に善意の方々ばかりで、そんな良いお客様に支えられているということは感謝のほかない。

そんな通販部門だが、開業当初に私が作ったサイトでは、クレジットカード払いを利用することもできず、またセキュリティーの面でも脆弱だったので、開業10年目あたりにサイト制作会社に依頼して、きちんと作り直してもらい今に至る。

しかし、そんな通販ページも、8年前のプログラムだとやりたくてもできないことが多々出てきたので、そろそろリニューアルする時期かと思い、重い腰を上げてこの夏を目処に通販ページを再構築することにした。

今日は、その打ち合わせでサイト制作会社へ行って、どのような仕様にするかを確認。

GW明けには着手して、夏にはなんとか新しいページを作りたいと思う。

それも含め、すべきことが山積しているが、なんとか乗り切っていこう。

と言うことで、私はしばらく時間があればパソコンに向かうことになります。

夏には完成予定の新通販ページ、どうぞご期待くださいませ。

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