自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

  1. 下鴨店TOP
  2. カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記
  3. verdi マスター

verdi マスターの投稿

ちょっと東京へ

2021年4月27日 

昨夜の仕事を終えた後、いくつか用事があって、ちゃらっと車で東京へ。

足柄サービスエリアから見えた富士山がきれいだった。

夜中に高速を走って、東京に到着したのが朝の6時前。

サービスエリアのフードコートも夜の9時には閉まってしまうし、朝もそんなに早くなくて・・・

ものすごく久しぶりにファミレスのモーニングを食べてみた。

ドリンクバーがセットになっていたので、何を飲もうかと思いながら、ちょっと見てみたら・・・

まぁ、ゲイシャと言ってもピンからキリまであるけど、もうファミレスにまで出てくるようになってしまったのか!と。

味の方は、わりと深く煎ってあるということもあるだろうが、ゲイシャフレーバーは全くしないが、下手に極浅煎りにして酸っぱいだけのものよりは良かった。

そして、20数年ぶりに、花小金井の「つの笛」さんへ。

コーヒーを飲もうと思ったら、喫茶部門をやめて豆売り専門になられていた。

ちょっと残念だったが、お試しセットというのを購入させて頂いた。


ハイチ、コスタリカ、グァテマラ、ペルーの4種類が各30グラムずつ入ったセット。

水曜日にでも飲んでみようと思う。楽しみ。

と、この時点でまだ10時半過ぎだったが、明日は京都で予定が入っているため今日中に戻らねばならない。

そんなわけで、コーヒー豆を購入したら、新大久保へ向かうのであった。

で、新大久保の用事を終えて、もう一つの用事もこなして再び高速道路を飛ばして京都へ戻り、この日記を書いているが、さすがに2日間で数時間仮眠をとっただけで京都と東京を往復したら、ちょっと睡魔に襲われてきたため、今日の日記はここまで。

新大久保の方は、明日に続く。

知らなくてもいい珈琲の話-その15【ド・クリュー功績-前編】

2021年4月25日 

前回までは、植物としてのコーヒーがどのように世界に広がったかを書いてきましたが、今回はその中でもとりわけ重要な役割を果たした人物について詳しく紹介します。

現在のスペシャルティコーヒーをけん引するのは、間違いなく中米の生産国。

その中米の祖木となったのは、1616年(「いろいろ」と覚えてください。まぁ、覚えなくてもいいですけど)にオランダ人旅行者がイエメンのアデンからオランダへ持ち帰った木と言えます。

しかし、オランダから直接中米へ渡ったわけではなく、その後約100年の間に栽培によって増えた木の一本が、フランス(パリ)に渡り、その木が実質的な祖木となりました。

その木は、1714年にフランス政府とアムステルダム市が折衝を行った結果、アムステルダム市長からルイ十四世に贈られた、樹高5フィート(約1.52メートル)の若木です。

マルリ城に到着したコーヒーの木は、翌日パリ植物園へ移され、アントワーヌ・ド・ジュシューという植物学者(1686~1758)によって大切に植え替えられて、すくすくと育ち多くの実をつけました。

それから10年ほどの間に、ルイ十四世に寄贈されたコーヒーの木はカリブ海の植民地へ移植しようとされましたが、ともに失敗してしまいます。

そんな中、私用でフランスに帰国していた、マルティニーク島の歩兵隊長で海軍将校だったガブリエル・ド・クリューが自身が住むマルティニーク島へコーヒーの木を移植しようと考えます。

しかし、そのコーヒーの木は厳格に管理されていて、入手困難に思われました。

そこで、彼は知り合いだった王の典医シラク医師の力を借りて、生命力の強そうな苗木を譲り受けることになります。

長い航海に耐えられそうな苗木を選び、出港まではロシュフォールの監督官であったM・ベロンにより厳格に保管されました。

そして、いよいよマルティニーク島へ出航となったのですが、ド・クリューがマルティニーク島にコーヒーの木を持ち込んだ年については2つの説があります。

1つは1720年、そして現在よく知られている説は1723年。

今のように、フランスからカリブの島へ、飛行機で1日飛べば行ける世の中ではなかったので、長い時間をかけてモーターなどなど付いていない帆船で航海しなくてはなりませんでした。

8℃を下回ると枯れてしまう、しかも大量の水を必要とするコーヒーの木を長い航海で移植すると言うことは、今の感覚では考えられないほど大変な作業だったことは想像に難くなりません。

どうやら、ド・クリューは二回航海をして、一回目は枯らしてしまい、二回目で苗木の移送に成功したようです。

M・ベロンによって保管され持ち出された苗木を枯らしてしまったド・クリューは、二度目の航海時、出港直前に種を植えて船上で発芽した苗木を育てつつ移送したという説があります。

ド・クリューが残した航海手記によると水不足が苗木と自分の生命を脅かしたと語っています。

と言うのも、この航海はまさに波乱万丈だったようです。

ド・クリューが乗った商船は、チェニスで海賊に襲われ、やっとの思いで難を逃れると、今度は大嵐に遭い、危うく海の藻屑となりかけ、嵐が去った後は長く続く凪にあって飲み水が底をつき、残りの航海は満足な水の配給がなかったからです。

ド・クリューは手記に「水が不足して、一か月以上の間、配給される僅かな水を私の希望の光ともいえるコーヒーの木と分かち合った。その木はまだ幼く脆弱で、成長も遅れて弱りかけていたため、より手をかけて世話をしなくてはならなかった。」と書いています。

ド・クリューは毎日甲板で苗木を日にあて、曇りの日や寒い日にも苗が死なないよう保温性を考えたガラス箱に入れていたと言います。

そんな中、この苗木を盗もうとする者も現れたようですが、ド・クリューは我が子のように大切に木を守り、海賊という外敵や、嵐と凪という自然の脅威、そして船内に潜む盗人という卑劣な同行者の難を逃れ、なんとかマルティニーク島への移送に成功しました。

つづく

三回目の

2021年4月23日 

日に日に朝もそこそこ気温が高くなってくる。

基本、暑いのが苦手な私としては、この季節がずっと続いてほしいのだが、そうはいかないですね。

さて、ついに京都も3回目の緊急事態宣言が発令されることになった。

知事は「不要不急の外出は控えるように」と言うわけで、そうなったら昼間のお客様も激減する。

やるもマイナス、やらないもマイナス。なんか、明るい話題ないですかねぇ・・・

と、愚痴っていても仕方ないので、暇な今がチャンス!と、スイーツの新商品を着々と試作中。

来週には、また新商品を投入したいと思っている。

そんなわけで、今日も閉店後は芸大店の社員みんなで新商品の企画会議。

いつもより遅くなったが、夜のウォーキングに出かけたのだが、ちょっと前の桜が満開で、ライトアップされていたときは、けっこうな人出だった木屋町の四条より下の方が、今日はとても散策しやすいほど、人通りが寂しかった。

普段だったら、夜の9時前なんて駐車場は満車のことが多いのに、今日は・・・

この時間は、通常空いている方が少ない場所なのに・・・

苦しいのは、飲食業界だけではない。

みんなで頑張って乗り切っていこう!

バリスタと呼ばないで

2021年4月22日 

今日も晴れて気持ち良い朝だったが、若干黄砂が飛んでいるのか、北の山がかすんでいた。

さて、一昨日の日記でもちょこっと書いたが、カッピング会などへ行くと、特に最近コーヒー店を始めた人を中心に、やたらと横文字でなんでも表現される。

そんな横文字表現中で、私が最も違和感を覚えているものに「バリスタ」という言葉がある。

Wikipediaによると、バリスタについては以下のように書かれている。

バリスタ(伊: barista)は、バールのカウンターに立ち、客からの注文を受けてエスプレッソをはじめとするコーヒーを淹れる職業、およびその職業についている人物をいう。

イタリアのバールには喫茶店やカフェとしての特徴がある。バーのバーテンダーがもっぱら酒類を扱うのに対し、バールで働くバリスタはノン・アルコールの飲料、とりわけコーヒーに関する知識と技術をもつ。欧州スペシャルティーコーヒー協会はバリスタのために3段階のレベルからなる技能認定試験を実施しており、筆記、口頭、実演の各試験に合格するほか実務経験も求められる。

なお、エスプレッソだけでなくパニーニ(パニーノの複数形)やアルコール、更にはサービス全般など、“バールに関する全てに精通している者”という意味で、バリスタではなくバールマンと呼ばれたがるバール店員もいる。

要するに、バリスタとはコーヒーを淹れる人のことなわけだが、たしかに日本語の中には、そういう職業だけを指す呼び名がないなぁ、ということに気付いた。

ヴェルディのお客様やスタッフたちから私は「マスター」と呼ばれている。

マスターは当然コーヒーの抽出もするが、それだけではなく自家焙煎店にとって一番大切な仕事である焙煎もするし(自家焙煎でなければ、この部分はないけど)フード全般のレシピも考えるし、仕入れる豆のチョイスやサービス全般も仕事としている。

だが、依頼されて抽出講習などの講師として登壇したとき、司会者から「続木バリスタです」と紹介されて、「え?」と思うこともしばしば。

また、雑誌の取材を受けたときなども、抽出している写真のキャプションに「オーナーの続木バリスタ」と書かれたこともあり、さすがにそれはすぐに「マスターの続木さん」に修正してもらった。

だが、そうしてみると、私をバリスタと紹介する人は、バリスタが敬称だと勘違いしているのかもしれない。

しかし、バリスタは敬称と言うより本来は職業を指す言葉。

日本における食に関する職業の呼称で言えば「給仕」とか「調理師」と同義になる。

もちろん、一つのお店や会社などで、専門の仕事を深く追求して、豊富な知識と確かな技術を得ている人に対しては深い敬意を持つし、それは非常に尊いことだと思う。

しかし、私を「バリスタ」と紹介されたら、「私は抽出の専門家ではないんだけどなぁ」と思ってしまうわけです。

そうしてみると、カッピング会というのは、基本的に焙煎する豆を選ぶための会なので、そこに出席すべきは「バリスタ」ではなく「焙煎士」か店の仕入れ担当者であるはず。

そんな会で「バリスタ」という言葉が出てくること自体不思議だったりするのだが、どうなんだかなぁ・・・

と、最近思っていることを書いてしまいました。

おしまい。

カッピング会

2021年4月20日 

今日はスカッと晴れてはいたものの、ちょっと黄砂が飛んでいましたねぇ

さて、今日は午前中に病院へ、先日受けた手術の術後検査に行って、午後からは商社主催のカッピング会。

大阪のカリタショールームで行われたので、芸大店の太田を誘って行ってみた。

カリタのショールーム、いろいろと器具が見られて面白かった。

カッピングの方は、メインがブラジルの某大規模農園のもので、その農園ものだけで10アイテム。

私も以前その農園のものは2回ほど使ったことがあったが、18年間で2回だけということは、まぁ、そういうことだということで・・・

その他の生産国のものも同程度あり、グァテマラを1品使ってみようかと思った。

後半は、そのブラジル大規模農園ものの豆を使っているというスイスでブリューワーズカップのチャンピオンになった日本女性がZOOMで登場。

一部、店の営業で参考になる話もあったので、ちょっと応用してお客様への説明に使わせてもらえるかも。

ラストオーダーぎりぎりに駆け込んだお店で夕食をとりながら太田と話していたのだが、どうも私は古い人間だからか、こういう会で使われる言葉に慣れない。

店舗での接客で、私たちはお客様がご家庭で珈琲を抽出されることについて、「ご家庭で珈琲をお淹れになる際は・・・」と言うのだが、こういう会に出てみると、若いコーヒー店主は「お客様がホームブリューされる・・・」と言うわけです。

ヴェルディの店頭で「豆を挽いてください」と言われたとき、私たちは「抽出方法によって挽き目を変えていますが、お客様はどんな器具を使ってコーヒーをお淹れになりますか?」と訊くわけだが、もしここで「お客様は、どんな器具でホームブリューされますか?」と訊いたら、大半の方は「はぁ?」と言われるのではないかと思う。

それに限らず、なんかよく訳の分からない英語を羅列してコーヒーについて語る必要性を私は感じないのだが、どうなんでしょうねぇ・・・

と、なんか違和感を覚えつつではあったが、コロナが流行りだしてから、なかなかカッピング会も開催されず、正式な入港前にサンプルのカッピングをする機会が減っているが、可能な限りきちんと味を確認して仕入れをしたいと思いつつ、でも他府県に出かけることはちょっと躊躇ったり。

ともかく、気を付けつつ、でもきちんと良いものをお客様にお売りできるよう頑張っていこう。

初登場

2021年4月19日 

今日は久し振りにすっきりと晴れて気持ちの良い朝だった。

昨日は、北の山があまり見えないレベルで黄砂が飛んでいたため、歩きながらあまり呼吸をしたくないという感じだったので、気分よく歩けた。

さて、先月は「ダークラム」や「イルバボールフォレスト」と個性が強い豆を続けて販売したが、その後はひっそりと「ころころブレンド」という個性がないのが個性とでもいおうか、ともかく飲みやすさは抜群のブレンドを販売しているが、明後日からはそこに「東ティモール」産の豆がヴェルディ初登場。

中煎りと中深煎りに煎り分けて2種類同時販売することにしてみた。

この東ティモール、存外に豆が硬くて、中深煎りでも比較的酸味が感じられ、ある意味苦みと酸味と香りのバランスが良好。

一方で中煎りはもっと酸味が強くなるかと思ったが、逆に柔らかい酸味になるから面白い。

これ、深煎りでも美味しそうだなぁ、と思うので、来週あたり深煎りもラインナップしてみようかと思う。

意外にも私は東ティモールを初めて焙煎したが、抜きんでた個性はないものの、けっこうユーティリティープレーヤーだと感じる。

明日は下鴨、芸大両店ともお休みを頂いておりますが、明後日からは両店舗でお召し上がりいただけます。

よろしければお試しくださいませ。

このページの先頭へ