自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

  1. 下鴨店TOP
  2. カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記
  3. たわごと

たわごと

クラッシックとコーヒーと

2025年1月15日 

昨年は、アントン・ブルックナー生誕200周年ということで、ブルックナー関係の書籍やCDの再販などが多くあり、私もいくつか聴き比べをする機会があった。

本当は、カラヤンが振る9番の66年盤、75年盤(ともにベルリンフィル)と76年のウィーンフィルライヴ録音盤を聴き比べたかったのだが、残念ながら66年盤が手に入らず断念。

そこで、たまたま中古で入手できた8番の57年盤と75年盤を聴き比べてみたのだが、当然と言われればそこまでだが、同じ指揮者とオケでも微妙に違っている。

どちらが良いというわけではなく、そのときカラヤンがスコアをどのように解釈していたのか、演奏を重ねるうちに変化しても然るべきなのであろう。

同じ交響曲でも、指揮者が変われば全く表情が変わってくるもので、他に私が持っているギュンター・ヴァントやオイゲン・ヨッフム、ロブロフォン・マタチッチなど(ヨッフムとマタチッチはLP盤)同じ曲でもこんなに違うのかと、聴いていて面白い。

コーヒーも同じで、全く同じ豆(生産国・農園・ロット等が全く同じもの)でも、焙煎する人が違うと、味わいも全く違うものになる。

その豆に対する見方が違うと、当然焙煎の仕方も変わってくるので、結果音楽における演奏、コーヒーにおける味は、指揮者や焙煎士がどう解釈して、それを具現化しているかということだと思う。

もちろん、「音楽(スコア)の解釈」「豆の解釈」というものを具現化するには、それができるだけの知識と技量が必要なわけで、中学生の部活オーケストラなんかが、演奏するとなったら解釈以前に楽譜通りに演奏することで精いっぱい。

コーヒーの焙煎も、それなりの経験と技術がなかったら、焼き色をつけるだけで精いっぱいなので、自分なりに豆を解釈して、それを具現化するというレベルには達しないものだと思う。

恐らくカラヤンに限らず、世の一流と言われている指揮者たちは、作曲家がどのように考え、どのような意図でスコアを書いたのかを追求したうえで、自分なりの解釈とスコアをどのように操り、オケをどのように鳴らすのか考えて、初めてタクトを振れるのであろう。

場合によっては、オケの特徴によって指揮も変わるかもしれない。

そうしてみると、やはりコーヒーも、産地はどのような気候風土で、どのような栽培、精選がされているのか、さらに、コーヒーの品種について、その品種の特徴や、できた経緯について、深く探りながら豆と向き合って、初めてその豆の解釈という域に達するように思う。

そして、それを具現化するための焙煎機が音楽で言うオーケストラと同じ。

各々の焙煎機の特徴によって、焙煎の仕方も変わってくる。

私が学生時代に、何か文章を書くときは、だいたい「今回はどの曲調にしようか」と考えていた。

例えば「今回は運命」と思ったら、最初にジャジャジャジャーン!とインパクトのある言葉で出だし、途中少し静かに進めつつ、最後は歓喜の内容を伴ってアップテンポに終結する、とか。

「悲愴」なら、暗く静かに立ち上げて、考えさせるよう仕向けつつ、普通ならワルツになりそうなところを変則的な5拍子という不思議なリズムを作りだし、悲しげながら美しい和音で魅せつつ、最後は消え入るような余韻で終わる、みたいに。

学生時代の私は、文章の書き方、持って行き方において、自分の好きな曲をメロディーではなく言語にして書いていたように思う。

で、60近くになって、何をしているかと言うと、結局は頭の中で豆をスコアに置き換えて、【産地・農園のテロワール=作曲家の思いや時代背景】や【品種の特徴=各楽器の音色】を考えて、演奏ならぬ焙煎をしているんだなぁ、と最近感じている。

そして、あるときはシングル(ピアノソナタだったり、無伴奏のヴァイオリンやチェロソナタだったり)、あるときはブレンド(オーケストレーション)だったり、個人的にはブレンドにこそ面白みを感じたりしている。

そんなこんなで、ブルックナーを聴きながら、なんとなくクラッシックと焙煎の相関について思いめぐらせていた。

今年はショスタコーヴィッチの没後50年。

また、いろいろな録音が出てきそうな気もするので、いろいろと聴き比べられたらいいなぁ・・・と思う。

密かにスタッフ募集中

2024年12月19日 

表題の通りで、表立ってではなく、ヴェルディでは密かにスタッフを募集しています。

ただ、今回の対象はは学生ではなく、将来的に社員を見据えた方、或いは社員に準ずる形で入れる方に限定しています。

もし、コーヒーの仕事をしたいという方がいらっしゃいましたら、下鴨店までお電話ください。

さて、毎年クリスマス前の金曜日に、上賀茂の方にある「総合地球環境学研究所」(略して地球研)という施設で同位体環境学のシンポジウムが開催されるのだが、もう4~5年前から、シンポジウムに参加される方々のコーヒーブレイクにヴェルディのコーヒーを提供すべく、出張カフェの営業をさせて頂いている。

最初の2~3年は私が現地へ行ってサーヴしていたが、昨年と今年はカミさんに行ってもらっている。

今日は、下鴨店のオーダーストップ後にその設営のために地球研へ伺った。

100名以上の方が、休憩時間になると一気にコーヒーを求めてお越しになるので、ハンドドリップなどはできるはずもなく、マシン抽出になるのだが、皆さん「学会でこんなコーヒーが飲めるなんて嬉しい」と喜んで下さる。

明日は360杯分のコーヒーを提供する予定なので、カミさんには頑張ってサーヴしてもらおう。

地球研のマスコットキャラクター、その名も・・・・ってその名を実は知らないけど、野菜とウサギがくっついていて、可愛いですね。

そんなこともあり、明日は私ともう一人の二人で下鴨店を回そうと思っていたところ、明日入店予定のスタッフが、あろうことかインフルエンザに・・・

なので、明日の昼間、下鴨店は私がワンオペで対応する時間がでてきます。

明日ご来店のお客様には、ちょっとお待ちいただくこともあろうかと思いますが、どうぞご了承くださいませ。

2週連続で

2024年12月2日 

このところ、日記の更新ができておらず、お客様から店頭では「元気ですか?」と声をかけて頂いたり、「生きていますか?」といったメールを頂いたりしましたが、私はちょっとヘバッてはいるものの、無事生きております。

が、実はこの2週間連続で近しい人の葬儀があり、時間的にも心情的にも日記を書く余裕がありませんでした。

先週の月曜は、伯母の葬儀がありました。

何人かいる伯母の中でも、最も親しくさせて頂いていおり、ちょくちょくヴェルディへお越しくださったり、また私の娘も大学のころに大変お世話になったりと、悲しみの参列でした。

そんな中、先週の木曜には予てより療養中だった義父が天に召され、店の方も多くのお客様がお越し下さり、しかも月末ということもあり、事務作業も多い中、同時進行でカミさんは葬儀のことなどを進めなくてはならず、慌ただしい時間が過ぎて行きました。

そして、今日義父の葬儀も無事終わり、ふと仕事のことを考えると、けっこうやらねばならないことが山積しているので正直焦っていますが、明日からしっかりこなして行こうと思います。

そのようなわけで、日記も滞っており、ご心配下さった方もいらっしゃったかと思いますが、明日から気持ちも新たにクリスマスブレンドの販売開始や、間もなくスタートするコラボ商品のスタート準備と、頑張ってまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。

選択

2024年11月19日 

ちょっと前の日記で、ヴェルディで経理の仕事をしてもらっている方のご主人が、「アントン・ブルックナー」という書籍の翻訳をされた本が出版されたことを書いたが、今日やっと少しだけ読み始めてみた。

同時に、けっこう久しぶりにブルックナーの交響曲聴き比べも少しタート。

と言っても、ブルックナーとなると、なかなか自宅でゆっくり聴き比べる時間もないので、車のオーディオにCDから録音して聴きながら走らせているのだが、本当に演奏者によって世界観は変わるもの。

さらに言うと、私が以前にブルックナーを聴き比べていたのは学生時代の時間に余裕があったころだった。

そのころと今とでは、私の音楽に対する解釈も違うし、ブルックナーという作曲家に対する理解も違う、そういう中で聴くと、また学生時代とは違った観点で一つ一つの音、旋律・副旋律・和音を聴いている。

そして、この本を読み終えた後でもう一度聴いてみたら、また違ったものが見えてくるのかもしれないと思うと、また楽しみも増してくる。

少し前(と言っても、これまた私が学生だった頃のことだが)「ショスタコーヴィッチの証言」という本が出版された。

私はショスタコーヴィッチもよく聴く作曲家の一人だったので、非常に興味深く読んだ記憶がある。

そして、その本が出版された後に録音されたショスタコーヴィッチの交響曲第5番の中でも印象的だったのは、スラットキン指揮のセントルイス交響楽団のもの。

個人的には、バーンスタインによる1979年に東京文化会館でのライヴ盤が愛聴盤だったが、「証言」後の録音ということでスラットキン盤を聴いてみたところ、ものすごいスローテンポで全く違う表情を見せている興味深い演奏だった。

ショスタコの演奏も、この「証言」出版前と後で解釈が変わったと言っても良いかもしれないが、今ではその「証言」そのものについての真偽が議論されているのだから、何を解釈の前提としてよいのかすらよくわからない。

となると、結局のところ自分にとって良いと思える演奏のものを愛聴盤にするのがベストということだろう。

とは言え、書籍などでその曲に対する作曲家の考えだとか、どういう背景で作られた曲かなどが分かると、聴いていてもまた奥深い世界が見えてくるもの。

音楽と味覚は違うが、コーヒーにしても、そのコーヒーについてのバックグラウンドストーリーが分かると、より味わい深く楽しめるかもしれない。

そうしてみたら、やはり販売しているコーヒーについて、もっとお客様に深く楽しんで頂けるような情報を手軽に提供できるようにしたいと思う反面、あまりうるさくなっても嫌われそうなので、そのあたりの説明における匙加減も難しいところ。

ただ、情報というものは、正確なものだけが出回っているわけではない。

音楽とかコーヒーなら、間違った情報を鵜吞みにして聴いたり飲んだりしても何ら害はないが、現在の情報化社会においては、重要な情報も操作されている可能性があるから恐ろしい。

先日の兵庫県知事選挙の結果を見て、本当のところどの情報が真実なのか、私自身も良く分からなっているのだが、少なくとも兵庫県民の方々が正しいという判断を下したのは、テレビや新聞といった既存メディアの情報ではなく、ネットの情報という、ある意味今までの常識を覆す結果だった。

生きていく中では、小さなことから大きなことまで、常に何かの選択をしながら進んで行くわけだが、その選択の判断基準になるものの多様性と言うか、真偽判断は、本当に難しい時代になってきたと考えてしまう今日この頃。

このページの先頭へ