自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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食べ物

並んでいなかったら

2017年3月13日 

今朝は、昨日に比べると少し寒さも和らいで手足の指先が冷たくなることもなく歩けた。

だいたい毎朝同じコースを歩いていると、毎日会うというかすれ違う人が同じなわけで、お互い顔なじみではあるが、全ての人とあいさつを交わすわけではなくて、この人とは毎朝あいさつするが、この人とは特にあいさつするでもなくすれ違うということがおきてくる。

で、ここ1年以上、ほぼ毎朝顔を合わせているのに、今まであいさつをしなかった年配の人と、今朝はじめて「おはようございます」と声をかけてみたら、むこうも「おはようございます」と笑顔でかえしてくれた。

なんとなく気分よく一日が始まった。

さて、出町のふたばさんの前を通って、行列ができていなかったらつい豆餅を買ってしまうのだが、こちらのお店も並んでいなかったら入ってしまう。

チーズ入り春巻き

鶏とピーナツの炒め

坦々麺

朝のウォーキング時とまでは言わないが、百万遍の雑居ビルの2階で営業されていた頃の初期段階では、いつ行っても同じ顔の人たちで、お客同士が挨拶をかわしていた華祥さん。

久し振りに行ったら、知っている顔は全くなし。

店の人も、田口さんと奥さんと息子さん以外は私のことを知らないわけで、ある意味華祥さんにとっては良いことだと思いつつ、なかなか気軽に行けない店になってしまって、ちょっと淋しいような。

でも、また並んでいなかったら入ることにしよう。

偵察

2017年2月28日 

最近、夕方に西の空を見て、綺麗だと思ったら造形芸大の大階段を駆け上って夕焼け空を眺めるのだが、今日は洗濯物を取り込もうとして出たバルコニーから見る西の空が、なかなか美しかった。

我が家のバルコニーもすてたものではないと思うのであった。

さて、このところ春のメニュー改定に向けて、試作をいろいろと繰り返しているのだが、その中の一つである「キッシュ」が迷路に迷い込んでしまったような状態に陥っている。

最初は、アパレイユを流し込む生地が安定せず、アパレイユが漏れて上手くいかなかったのだが、それが克服されて安定してくると、次はオーブンの温度や時間による舌触りと言うか、食感と言うか、そのあたりが気になり始めた。

ふるふるの柔らかさで焼き上げられる温度と時間が分かったと思ったら、どうも茶碗蒸しみたいな味になったり、少し温度と時間を長くすると、茶碗蒸しのような味はしなくなったが、表面がかなり黒くなるのと食感にざらつきが出てきて。

まぁ、本当に少しのことで、随分と仕上がりに違いが出てくるものである。

そんな迷った時は、ちゃんとしたものを食べてみるのが一番!

と言うことで、社員の土屋と太田を誘って、オ タン ペルディさんへキッシュを食べに行ってきた。

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店に行ったは良いが、キッシュが売り切れていたら大変なので、行く前に電話でキッシュはまだ食べられるか確認してから向かったのだが、店に入って「キッシュ食べに来ました」と、いつも笑顔が素敵なホールの方に言ったら「どこかで聞いた声だと思ったので、頭の中のアドレス帳を思いめぐらせたのに分かりませんでした」と。

で、隠しても仕方ないので、「実は店で作るキッシュの参考にするため、偵察に来ました。」と言ったら、とても親切にいろいろと教えて下さった。

そして、キッチンにオーダーを通すとき「ヴェルディさん、偵察のオーダーです」だって。

でも、こういう対応って、本当に自分の店の商品に自信がなくてはできないもの。

Verdi も余裕の姿勢で、他店からの偵察を受け入れられる器量の大きさを持ちたいものである。

って、Verdi には誰も偵察なんかに来ないか?

 

そんな偵察として食べたのは、定番の「キッシュ ロレーヌ」と、本日のキッシュ=「帆立のキッシュ」。

これが、本当にふるふるな感じで柔らかく、舌触りも非常になめらか。

デパ地下の惣菜店では、かなり硬めのキッシュが多かったりするが、それはテイクアウトを想定して、さらに持ち帰り時間も考えると、けっこうしっかり焼いておかないとダメなところもある。

私たちは、店で食べて頂くわけで、やはりオ タン ペルデュさん同様、ふるふるしていて柔らかく食感も素晴らしいものを作りたい。

いろいろと勉強になった。

せっかくなのでクラブハウスサンドも。

休みの日でも、こうして私の偵察に付き合ってくれるスタッフは有難いと思いつつ、ちゃっかりミーティングまでしてしまったが、それもこれもお客様により喜んでいただける店作りのため。

3月中にしっかり検討して、4月からキッシュを含む新しいメニューでお客様の心と胃袋を満たしたいものである。

私としたことが

2017年2月21日 

このところ、ちょっと喉が痛いと思っていたのだが、昨日の夕方あたりからしゃべると咳が出て、鼻がぐずぐず。

今日は午前中に一件打ち合わせがあったので、それを終えて帰宅したら、ちょっと寒気もしてきたので、横になって寝ていたものの、ふと目が覚めて携帯を見たら不在着信のランプがついている。

打ち合わせがあったので、マナーモードにしていたのを忘れていた、と、通常モードに切り替えたは良いが、その後少し寝たらすぐに業者やお取引先から携帯が鳴っておこされる・・・の繰り返し。

結局、ほとんど寝られずで夜を迎えてしまったのだが、そう言えば昼食もとっていなかったので、こういうときは何か食べて体力つけねば、ってことで家族で白梅町へ。

やはり、体調が悪いときは、スパイスを摂取して寝るのが一番。

私の場合、体調不良程度では休むことはできないので、とりあえずカレーを食べてなんとか頑張って行こう。

引いてもだめなら押してみな

2017年2月14日 

毎日何度か「トイレに入れない」とお客様に言われる。

Verdi のトイレは、本店も造形大店も、ドアを押して入るタイプになっている。

一方家庭のトイレのドアは、概ね引いて開けるタイプ。

ドアを押して開けるようにするためには、便器の前にドアの幅+αのスペースが必要なので、トイレスペースを抑えて居住スペースを広くしたい一般住居では、必然的にトイレのドアは引いて開けることになる。

しかし、お店においてのトイレは、できれば押して開けるタイプにしたいもの。

なぜなら、もし中に人が入っていて、鍵を閉め忘れて座ってしまった場合、引くタイプのドアだと、ドアを開けた瞬間、便座に座っている人とご対面となる。

しかし、押すタイプであれば、完全にドアを開けるまで、座っている人は見えにくいし、ドアが開いた瞬間に声を出せば、対面する前にドアを閉められるので、お互い気まずい思いをしなくて済む。

他のお店が、どう考えているかは知らないが、私はそういう考えのもと、便器の前にスペースを設けて、押して開けるタイプのドアにしている。

が、やはり人間、習慣というものはなかなか拭えない。

特にトイレのドア開閉となると、考えるのではなく無意識に行動することが多いので、必死でドアを引いて「開かない」となってしまうのだろう。

「押してもだめなら引いてみな」とよく言われるが、「引いてもだめなら押してみな」も覚えておいて損はないように思う。

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さて、先日久しぶりにインドから戻ってきたガッファルさんの「ビーフチェチナード」を食べたら、無性にヌーさんの「ゴビチェチナード」が食べたくなったので、仕事を終えた後、急いで烏丸紫明へ。

メニューに「5サラダ」と言うのがあったのでよく見てみると、「5つの宝石」と書かれていたので、あぁ、パンチャラタン(Panch=5、 ratna=宝石 )ね。と、思って、つい「パンチャラタンサラダください」とフランス人の給仕さんに注文したのだが、出てきたのは「パニールサラダ」だった。

『パ』しかあってへんやんか!?と思ったが、素直に「ご サラダ下さい」と言えばよかったのにインド人ではないスタッフに原語の商品名でオーダーしてしまった私にも非があるし、過去の経験からも、こういう間違いはインド料理店では当たり前のようによくあること?なので、そのまま頂いた。

それに、またパンチャラタン食べに行かねば、という口実できたし。

このペッパーの辛味とビネガーの酸味が、「これでもか!」と効いた、ディル山盛りのサラダ、唯一無比のものだと思う。

でも、けっこうな頻度で食べる私は、普通に感じてしまう。

しかし恐らく初めてこれを食べた人には強烈なインパクトを残す一皿だと思う。

そして、無性に食べたかったゴビチェチナード。

インド中南部のタミルナドゥ州の地方名から由来する、最もアロマティックなカレーの一つ。

にもかかわらず、東京の有名店もかなり回ったのに、日本でこの極上の香りを楽しめるのは、烏丸紫明か白梅町くらいなもの。

近くで食べられて嬉しいような、もうちょっとこういう本当のカレーが普及してくれないかと思うような。

インド料理にしても、珈琲にしても、所詮世の中に出回るのは表面的でキャッチーなものばかり。

だから、どこのインド料理店へ行っても、バターをかじりながら生クリームを飲んでいるのと同然のバターチキンカレーと大きさをウリにしているナンばかりで、しっかりと作られた正統派のインド料理には滅多に出会えない。(東京は京都に比べて絶対数の違いからちゃんとした店も多い、けど、ちゃんとしていない店はもっと多い)

珈琲にしても、最近は東京を中心に、やたら生産国や地域、農園名だけ訴えて、焙煎そのものは原価率を低く抑えるためか、単に焙煎技術を持たないだけなのか、やたら酸っぱいだけのものばかり。

結局のところ、ホンモノは本質が分かる人にしか気づいてもらえないから、なかなか普及しないものである。

 

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