昨日に引き続き、今日の日記も、ヴェルディの従業員向けに私が考える「スペシャルティーコーヒー」について述べるものであり、必ずしも一般の方に読んでほしいものではないことを最初に申し上げます。
むしろコーヒーに対する幻想を傷つけないためにも、読まないで頂きたいほどです。
特にスペシャルティーコーヒーを前面に出す同業者には、耐えがたいことを言う可能性もありますので、そういう方はお読みにならないことを強くお勧めいたします。
このような注意喚起にも関わらず、読んでしまって文句を言われても、私は一切応じませんので、どうぞご了承ください。
昨日の日記を読み返して、既存のヴェルディ社員であれば常識として知っていないといけないものの、新たに加わった高島屋S.C.店のスタッフには説明が不十分だった点があったので、最初にその部分を書いておく。
〈酸っぱいコーヒーはお湯をかけても膨らまないことについて〉
日々、コーヒーを抽出していたら、ヴェルディの豆は挽きたてであることを前提とはするが、お湯をかけるとふっくらと膨らむことは承知しているものと思う。
これは、豆(粉)が膨らんでいるのではなく、焙煎によって生成された揮発成分が、お湯をかけて熱せられることにより豆(粉)の中から出てきて泡となり全体を持ち上げることにより膨らんでいるわけである。
従って、コーヒーの粉が膨張しているのではなく、あくまで揮発成分が泡になって全体を持ち上げているから膨らんでいるように見えるわけである。
と言うことは、お湯をかけて膨らむのは、コーヒー豆が焙煎をすることにより、中に含まれる物質がしっかりと生成され、香り・風味のもととなり、味が形成されるということになる。
一方で、新鮮かつ挽きたてであるにもかかわらず膨らまないということは、その揮発成分として、香り・風味になる成分が、まだ十分に精製されていないと言うことになる。
それでも、膨らまない極浅煎りは香りが良い、と思われるかもしれない。
たしかに、極浅煎りだと挽いた粉からは、酸味を伴った果実感のある香りを感じられる。
コーヒーは、熱を加えるプロセスによって、刻々と香りを変えていく。
そういう中で、ある意味「生焼け」状態が、一番果実系の香りが出ている瞬間と言えるかもしれない、が、芳香を楽しむだけであればそれが正解でも、飲料として見た場合、生焼けのコーヒーは攻撃的な味が残っている。
生焼けのコーヒーは、ステーキで言うところの「ベリーレア」な状態。
表面は茶色くなっているが、肉をナイフで切ったら、中からは血が滴っているような状態である。
もちろんベリーレアなステーキが好きな方も多いとは思うが、食の安全を考えた場合、リスクが高いことは否めない。
生肉と焼いた肉、同じ肉でも味は全く違うのだが、火を通すことによって肉の中のタンパク質をはじめとした成分が、熱によって変化して、生では味わえない旨味を作り出す。
コーヒーも同様なのだが、肉とコーヒーの違いとして、コーヒーは「豆」と言われるが、実際には「種」であるということを思い出してほしい。
種とは命の源。
その種が地に落ちて発芽して木になっていくものであり、ある種ものすごい力を持った小さな粒である。
そんな強い生命力を持った「種」は、一つ間違えれば攻撃的な側面も持っていると考えられるのではないだろうか。
そんな生命の源である「種」と、「肉」を同等に比較はできないが、コーヒーの持つ攻撃的な酸味(ヴェルディ的には酸っぱみ)は、その種の持つ攻撃的な側面が表面化しているものと私は解釈している。
そこで、私たちがすべき焙煎とは、種の持つ攻撃性を焙煎によってしっかりと抑えつつ、加熱におけるプロセスの中で、最善と思われるタイミングを掌握して焙煎することにより、【攻撃的な酸味(酸っぱみ)】を【美味しい酸味】へと導いていくことである。
同時に、生焼けのものと、しっかりと火が通ったもの、どちらの方が早くれ劣化するかと訊けば、恐らく常識を持った人なら誰もが「生焼けの方が早く劣化する」と答えるものと思う。
それらを考えても、ヴェルディでは安心・安全の観点からも、風味の観点からも、決して生焼けにはせず、芯まで火を通して良いコーヒーを作り上げるよう日々焙煎をしていることをしっかりと理解してほしい。
前置きが長くなってしまったので、そろそろ本題。
昨日に引き続き、「スペシャルティーコーヒーに適用可能な判定の尺度」から、昨日解説しなかった5~7について私の考えを述べる。
5,風味特性・風味のプロフィール
一般のコーヒーとスペシャルティーコーヒーを区別する最重要項目と評されている。
栽培・収穫・精選から焙煎・抽出まで一貫して理想的に行われれば、栽培地域の特性:Terroirが正しく表現されるもので、コーヒーが一般的なプロフィールしか持っていないか、或いは栽培地域の特性「Terroir」が純正に表現できているかを明確に評価する。
と、書かれている。
スペシャルティーコーヒーの代表的なものとしてCOE(カップオブエクセレンス)が挙げられる。
COEを極簡単に説明すると、生産国における品評コンテストで、国内品評を通過した豆が、国際審査員により100点満点中87点以上をつけたものに与えられる称号。
点数の高いものから順位がつけられオークションによって販売される。
そのCOEについて、以前ある有名なコーヒー業界の重鎮と話した時のこと、私もその方もCOEに対して同じような感想を持っていた。
それは、どんなに風味特性に特徴があると言っても、コーヒーはコーヒーでしかないのだから、COEに入賞するコーヒーの風味傾向は似通ってくる。
それにともない、「どの国のどんな品種をどのように栽培したか」ではなく、「COE審査員が高評価する風味にどれだけ近付けられたか」が重要になるため、国ごとの特性が薄れて、上位入賞豆は似通った味になってくる。
というもの。
ここで考えなくてはならないのが、COEに入賞しようと思ったら、スペシャルティーコーヒーの定義である地域特性=Terroirよりも、審査員の評価基準が優先されてしまうことになる。
話は全く変わるが、私は高校生時代から写真を趣味にしていた。
ある程度いろいろと撮り始めたら、雑誌などのフォトコンに出すようになってきた。
最初のうちは、純粋に自分が良いと思ったものを応募して、入選した・落選したに一喜一憂していたが、そのうち審査員の傾向が分かり始めたら、入選するための写真を作るようになり、応募すれば2/3くらいの確率で最低でも佳作はとれるようになっていった。
が、あるときアホらしくなって、応募をやめてしまった。
自己表現の写真ではなく、入選のための撮影に面白さを感じなくなったからである。
私にとっての写真は趣味だから良いのだが、コーヒー農園はビジネスであるため、入賞したら高く売れることもあり、Terroirよりも審査員が評価してくれる品種を植えて、入選しやすいような栽培・精選をすることに誰も異を唱えることはできない。
先日のSCAJ会場で、ある輸入業者の方と話をしていたときのこと。
コーヒーの品種について言えば「全ての品種(エチオピア、イエメンを除く)は、ティピカに通じる」と言っても過言ではないのに、そのティピカ種が現在最も絶滅危惧種になりつつあるという話題になった。
ティピカ種は、世界で流通しているほとんどのアラビカ種の原点とも言え、そこから派生・変異・掛け合わせが行われて、今の多くの品種になっている。
しかし、そのティピカ種は他の品種と比べると、味覚特徴に強烈なキャラクターがあるわけではなく、また、病害虫にも弱く栽培も難しく、生産性も良くないことから、多くの農園はよりキャラクターが強く、病害虫に強い品種であったり、栽培は難しくても高値で売れるゲイシャ種のような品種を栽培したがる。
しかし、最もコーヒーの原点に近く、素直でクリーンな味わいを出せるティピカ種は、逆を言うと際立った個性が出しにくいことから、もともとティピカを植えていた産地も他の品種へ変更していくため、どんどん少なくなっている。
これを時代の流れととるか、危惧すべきことと捉えるか。
また、精選方法においても、ウォッシュドはクリーンな味にはなるが、大きな差別化を図るには他のものとの差別化が難しいため、もともとウォッシュドしか精選方法として取り入れていなかった生産国でも、より香りを強く出せるナチュラルを取り入れる傾向にある。
そこで考えたいのは、産地の伝統的な品種と土壌や気候風土により長年受け継がれてきたTerroirがCOEやスペシャルティーコーヒーの台頭により、逆に損なわれてきているのではないかということ。
実は今日、私は東京へ出張していた。
ヴェルディが使っているブラジル産のコーヒーを仕入れさせて頂いている、セラード珈琲の創業35年記念イベントが、ブラジル大使館で開催され、その記念講演を聞きに行っていたのだが、そこで「フルッタメルカドン」をはじめとするアナエロビック(嫌気性発酵)を施した精選コーヒーはスペシャルティーか否かということも話題になった。
そして、セラード珈琲の方は明確に「アナエロビックはスペシャルティーではありません」と言い切った。
その理由は、Terroirよりも精選方法による特別な風味を優先しているから、ということであった。
ヴェルディでもフルッタメルカドンは販売当初から扱っており、これもコーヒーの楽しみ方の一つだと認識しているが、Terroirという面で言うと、決してスペシャルティーに分類されるべきではないと認識していたので、改めてその思いを確信にできた。
そして、先日の日記にも書いたが、今回のSCAJに出品されていたコーヒー生豆の中に占めるアナエロビックやインフューズドの割合は、昨年と比べても非常に高くなっており、中にはゲイシャ種をアナエロビックにするという暴挙に出ているところすらあった。
そうして考えると、スペシャルティーコーヒーの定義として最も重要と言っていることを実はスペシャルティーコーヒーの代表格と言えるCOEが壊している可能性すら否定できないということに気付く。
いったい世界のコーヒー市場は、どのような方向へ向かっているのか、そして、近年その名称だけが独り歩きして、ある意味実態が非常に分かり辛い「スペシャルティーコーヒー」というものの実像は何なのか? ちょっと長くなってしまったので、また次にそのあたりも書きたい。