自家焙煎珈琲 カフェ・ヴェルディ

カフェ・ヴェルディの気まぐれ日記

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verdi マスターの投稿

マスカットはどこに?

2021年4月15日 

昨日と今日は、歩きながら目に入る北の山がすごく近くに見えた。

もうすっかり春の光ですねぇ。

さて、次の限定珈琲にすべく、東ティモールの豆をテスト焙煎してみた。

カッピングプロファイルには、「マスカット」という文字が書かれていたのだが、先日一足先に販売されている大津の tak さんは中深煎りで仕上げていたので、フルーツ系の香りは姿を見せていなかった。

とりあえず、そのマスカットフレーバーを出したいと思って、カッピング用の焙煎より少し深めに仕上げて、どんな味が顔を出すのか期待してみたものの、残念ながらマスカットは顔を出さず・・・

これ以上浅くすると、かなり渋みが出てしまいそうなので、もう一回、もうちょっとだけ深めに仕上げてみよう。

さて、先日来用事があって、ちょくちょく四条河原町へ行っているのだが、今日は昼食をとる余裕もなく四条へ行ったので、この近辺で何か食べようと思いたった。

何を食べよう?と考えてみると、なんとなくカレーだなぁ・・・という気分。

で、四条河原町でカレーと言えば・・・

高島屋地下のサンマルコでしょ!

ってことで、春の手巻き野菜カツカレーを頂いた。

先日のYoung Menと言い、この長きにわたってブレない味、素晴らしいなぁと思うのであった。

Young Men!

2021年4月13日 

今日はいろいろあって、朝から四条河原町近辺へ。

なんだか一日で自分の店のものではない珈琲を8杯も飲んでしまった。

ちょっと胃が持たれているなぁ・・・

そんなわけで、今日は途中でちょっと大阪まで行って、目的地での滞在時間30分のとんぼ返りした以外、ほぼ四条通界隈にいた。

大阪までは京阪で行ったのだが、今日はポケットwifiを持っていたので、往復の間にやらなくてはならない仕事を3つ片づけられたりして。

店や自宅でパソコン作業をしていたら、途中で何か用事が入ったり気が散ったりするのだが、電車の中だと資料を広げる必要がない限り、他にやることがないので集中して作業ができる。

これってけっこういいなぁ、と思うのであった。

さて、そんなわけで、途中2時間ちょっと抜けた以外は終日四条。

四条でランチといえばココでしょ!

ミスター ヤングメン!

久し振りに、定番のランチを食べてみた。

焼きそばとお好み焼きとおむすびとみそ汁。

もう、みそ汁以外は炭水化物しかないという糖質増し増しランチ!

こういう何十年もブレないお店っていいですねぇ。

コロナが広がってから、お好み焼きを食べていなかったので、何となく久しぶりに頂いて満足でした。

さて、昨日の日記に書いた通り、明日から芸大店はフードメニューがリニューアル。

何気に私のお気に入りは新商品のレモンケーキ、パティシエールの松尾がなかなか大胆な製法で作った強烈なレモンフレーバー!

よろしければお試しくださいませ。

14日から

2021年4月13日 

今日はいつもより30分早く目が覚めてしまい、何となく二度寝ができなかったので、5時30分から鴨川へ。

30分違うと、歩いている人の顔ぶれも違うし、光の具合も違って面白かった。

さて、芸大店では明後日の水曜日からフードメニューがリニューアル。

コロナの影響で、ランチのお客様が大幅に減っている現状、今と同じフードメニューを出し続けていたら、ロスが大きくなることや、仕込みに人手がかかってしまうため、ランチタイムのフードメニューを絞り込みつつ、下鴨と同様ホットサンドを中心としたイートインメニューに変更することにさせて頂いた。

こちらは、芸大オリジナルのホットサンド「レモンポークとチーズ」

レモンの爽やかな酸味とペッパーの風味がこれからの季節にいい感じ。

そして、先日は芸大店長の山下も書いていたが、スイーツプレートも販売開始。

スイーツについては、コーヒーとよく合う焼菓子を今後も多数ラインナップしていく予定なので、店内のみならずテイクアウトでもお楽しみ頂ければと思う。

ガトー オ ショコラも形状を変更してリニューアル。

何気にアイテム数は増えたものの、オペレーションとしては良くなるのではないかということで、人員的には少数精鋭で、お客様には選択の幅を減らさないようにしつつ、ロスを少なくできるメニュー構成ということで、コロナをなんとか乗り切っていきたい。

既存のメニューファンの方には申し訳ありませんが、新しいメニューもぜひよろしくお願いいたします。

知らなくてもいい珈琲の話-その13【珈琲年代譜 Part-2】

2021年4月11日 

先週からスタートした「珈琲年代譜」今回は、17世紀~18世紀にかけて珈琲栽培がどのように広がって行ったかを書きたいと思います。

珈琲文化や、コーヒーショップ、飲まれ方等については、一応題目だけを年代譜の中に入れておきますが、それらについての詳細は、今後「国ごとの珈琲文化発展」といったタイトルで書きたいと思います。

そして、先週の内容に追記。

珈琲について最初に書かれた文献は、10世紀ごろの医師による処方箋と書きましたが、調べたところより詳しくは 【10世紀ごろ、アラビアの医学者であるラージー氏によって書かれた薬効の書】ということを補足しておきます。

…………………………………

珈琲年代譜 17~18世紀にかけて珈琲栽培の広がり

1600年頃

コーヒーの利権を独占したいトルコにより、厳しい持ち出し規制が敷かれている中、ムスリム(イスラム教徒)の巡礼者、ババ・ブーダンが 7粒の発芽可能な種子をインドへ持ち出す。

この種子は、インド南西部のマイソール地方で栽培され、この種子から育った木が後にオランダ領 東インド諸島へ広がっていく。

1610年

当時のトルコにおけるコーヒー文化を知る文献として英国の詩人、サー・ジョージ・サンズが書き残したものがある。

『トルコ人は、コーヒーの前に腰を下ろし、日がな一日しゃべっている。コーヒーは煤(すす)のように黒く、味もそれに似たようなものである。』

どうやら、このナイトの称号を持つ英国詩人にとってコーヒーは口に合わないもののようだったが、その後トルコの文化に触れたサンズ氏は、こう書き加えている。

『彼らにとってコーヒーは消化を助け、敏活さをもたらす秘薬のようである』

1616年

オランダ人旅行者が、アデンから1本のコーヒーの木をオランダへ持ち帰る。

※ アデン=アラビア半島の南端、イエメンの港湾都市

1650年

イギリス:ユダヤ系レバノン人のジェイコブズ氏がオックスフォード大学に英国初のコーヒーハウスを開業。

その2年後には、ロンドンでギリシャ人のパスカ・ロゼ氏がコーヒーハウスを開く。

イタリア:街角で「アクア セドラ タージョ」と呼ばれるレモネード売りが、チョコレートや酒とともにコーヒーを売るようになった。

1658年

1616年にアデンからオランダへ持ち込まれたコーヒーの木の子孫が、セイロン(現スリランカ)で栽培される。

1669年

フランスの新任トルコ大使 ソリマン・アジャ氏が、パリで豪華なパーティーを開きコーヒーを紹介、そのことがきっかけで、パリでは熱狂的なトルコブームが起こり、コーヒーが一気に広がる。

1683年

ウイーン:フランツ・ゲオルグ・コルシツキーがウイーン初のカフェ「ブルーボトル」を開業。(今後、ウイーンのコーヒーについて記載する折に詳細説明いたします。)

1689年

パリ:イタリアからの移住者、フランソワ・プロコプ氏が「コメディ・フランセーズ」前にパリ初の本格的カフェ「カフェ ド プロコプ」をオープン。

1699年

オランダ人が、ババ・ブーダンによってマイソールへ持ち込まれたコーヒーの木の子孫をマラバルからジャワへ移植。

間もなく、スマトラ、セレベス、ティモール、バリなどへ広がり、それまではトルコが独占していたコーヒーだったが、以後オランダ領東インド諸島のコーヒーは世界市場で大きなシェアを握る。

1710年

フランス人が、トルコ式の「煮だし」抽出ではなく、「濾して浸出する」コーヒー抽出方法を考案。(現在のドリップコーヒーの原型となる)

同時に、これまでになかった「ミルクを入れる」飲み方がパリで人気となる。

このことにより、コーヒー飲用の文化が年齢・性別の垣根を越えて大きく広がる。

1714年

オランダからパリの植物園にコーヒーの木が贈られる。

1718年

フランスがブルボン島(レ・ユニオン島)=アフリカ南東・マダガスカルのすぐ東でコーヒー栽培を開始する。

このブルボン島のコーヒーが、タンザニア、ケニアなどへ移植されアフリカのコーヒー栽培が活発となる。

1723年

フランス人の歩兵大尉 ガブリエル・マチュー・ド・クリューによって、パリの植物園で栽培されていた苗木がマルティニーク島=カリブ海の仏領島国に持ち込まれる。

後に、この木の子孫が中南米を中心とした多くの国々の先祖にあたる木となる。

1727年

ブラジルへコーヒーの木が持ち込まれる。

オランダ領スリナムと仏領ギアナで国境紛争が発生。

調停役として、当時ポルトガル領だったブラジルから パリェタという人物が送り込まれる。

しかし、このパリェタ氏は両国の調停役というだけではなく、当時コーヒーの木を持っていなかったポルトガルから重要な役目を負わされていた。

それは、スリナムからコーヒーの木を盗み出して、ブラジルへ密輸することであった。

このパリェタ氏、色男として知られており、得意の女ったらしぶりをいかんなく発揮し、見事フランス領事夫人を寝取ってしまう。

そんなパリェタ氏にそそのかされたフランス領事夫人は、彼がブラジルへ帰るときに、調停の労を労う名目で花束を渡すのだが、その花束の中にはコーヒーの苗木5本が仕込まれていた。

そうして見事ブラジルのパラ州へコーヒーの木を持ち込み、その後200年の時を経て、ブラジルは世界最大シェアを誇るコーヒーの産地となった。

ブラジルのコーヒー栽培は、スリナムからコーヒーの木を盗んで始まった。

しかし、スリナムのコーヒーは、中南米の祖木と言われるド・クリューによるマルティニーク島の木ではなく、それ以前にどこかの誰かが盗み出したコーヒーの木をスリナムとハイチ、ギアナに持ち込んで栽培を始めたと言われている。

そうしてみると、ブラジルのコーヒー産業は、コーヒーの木と女心を盗んだ人々によって築かれたと言っても過言ではないかもしれない。

ブラジルらしい逸話と言ったら怒られるかもしれないが・・・

・ 1791年

スリナムとほぼ同時期に盗まれた木から始まった、ハイチのコーヒー産業が、奴隷による反乱で衰退してしまう。

1773年

ボストン茶会事件(今後、イギリスのコーヒーについて記載する折に詳細説明いたします。)

1806年

ナポレオンの大陸封鎖により、ヨーロッパへのコーヒー供給が途絶え、チコリによる代替コーヒーが広まる。

こうして、アラビア半島で1,000年以上門外不出の貿易商材として扱われていたコーヒーは、ババ・ブーダンが持ち出した後、17~18世紀にかけて堰を切ったように世界各国へ広がり栽培されるようになりました。

そして、ヨーロッパの国々で愛飲されるようになったものの、コーヒー繁栄の歴史は、同時にコーヒー迫害の歴史であったとも言えます。

しかし、どんなにコーヒー排除の動きが出ても、コーヒーの魔力は決して潰えることなく益々世界に広がっていきます。

次回からは、ヨーロッパ各国でのコーヒー伝搬とその広がりについて書いて行きます。

再開

2021年4月9日 

今朝もけっこう寒かった。

なんだか、やらなくてはならないことが多すぎて、どこから手を付けようかという状態だが、一つ一つこなしていくしかないので地道に頑張っていこう。

今私がやっていること、というか、準備していること。

もう間もなく皆さんにもお知らせできると思うので、楽しみにお待ちください。

さて、仕事を終えて自宅に戻ってテレビをつけたら、横浜は雨が降っていた。

でも京都はスカッと晴れていい感じ。

来週から京都も「蔓延防止」の宣言が出て、先斗町や木屋町の明かりも消えるんだろうなぁ・・・

ヴェルディは夜の営業がないので、時間短縮はないのだが、出控えでお客様が減っても補償もないから、会社を存続させるためにはなんとかお客様にご来店いただかないといけないことになる。

しかし、そういう状況にあるのは飲食店だけではなく、ミュージシャンなんかも演奏する場がなくなって、飲食店以上に大変なことになっていることは容易に想像できる。

そんな折、縁あって人数を制限してソーシャルディスタンスを取ったうえで、なんとかライヴができないだろうかという相談を受けた。

この時期にという考えもあるが、ミュージシャンもヴェルディも存続のためにお互いがwin win になりつつ、きちんとお客様の距離をとってイベント開催をできるよう考えた結果、上限を25名にして閉店時間の18時からライヴハウス営業と言う形で1年間休止してきた芸大店の「サロンライヴ」を再開!

これまではクラッシックだけだったが、これからはジャンルにとらわれずいろいろとやっていこうと思う。

そんなわけで、再開の第一弾は、京都でフォークのシンガーソングライターをされている 原田 博行さん。

ご予約は、こちら からお願いいたします。

※ ヴェルディでの受付はございません、必ず上記リンクよりご予約ください。

おひとり様!

2021年4月8日 

今朝はけっこう寒かった。

このところ、大阪を中心に関西全体でもコロナの新規感染者が増えてきて、飲食店の閉店時間を早めるよう自治体から通達が出ている。

ヴェルディは、夜の営業をしていないので早仕舞いは関係ないとはいえ、連日「まんぼう」とテレビで繰り返し言われると、ランチタイムでもお客様の足は遠のくので、ある意味ソーシャルディスタンスがとれた状態で営業中!

と、自虐的に言うのはやめておいて。

そんな状況下では、やはり大人数での会食ではなく、「おひとりさま食事」が推奨されるわけで、ちょっとこんな店へ行ってみた。

テーブルに設置されているタブレットで注文して、呼び出しが鳴ったらピックアップカウンターへ取りに行くシステム。

あとは、一人用のコンロで肉を焼いて食べるという「おひとり様焼肉」

味とかはとりあえず、まぁ、一度は行ってみたかったので満足でした。

でも、やはり焼肉は家族や親しい人たちと楽しく食べたいもの。

焼肉に限らず、生命維持のためには栄養を摂取しなくてはならないものではあるが、外食となったらやはり楽しく会話をしながら食べたいというのが人情。

早くそんな楽しい食事ができる世の中に戻ってほしいですねぇ

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